エリート街道からの転落。初めて味わった「見てもらえない」悔しさ
──逆境経験について教えてください。
小学校からバスケットボールを始め、ミニバスでは全国2位、中学・高校でも全国大会に出場するなど、輝かしい成績を収めてきました。常に試合に出続けるのが当たり前。そんなエリート街道を歩んできた私にとって、最大の逆境は大学時代に訪れました。
スポーツ推薦で強豪大学に進学したものの、そこは全国から猛者が集まる場所。初めてレギュラーから外され、ユニフォームすらもらえない日々が続きました。何より辛かったのは、監督から全く声もかけてもらえず、存在を認識してもらえていないと感じたことです。
それまでの私は、厳しい練習に「辞めたい」と思うことはあっても、「負けたくない」という気持ちで乗り越えてきました。しかし、頑張る方向性すら示してもらえず、何をアピールすればいいのかもわからない。努力の仕方がわからなくなるという、初めての経験でした。50〜60人いる部員の中で、監督が目を配るのはスカウトしてきた特定の選手だけ。その輪に入れない選手は、ただそこにいるだけ。そんな環境に、先の見えない無力感を覚えました。
「自分ごと」から「全体ごと」へ。挫折がもたらした視点の変化
──逆境から得た教訓や学びについてお聞かせください。
この経験は、私に二つの大きな教訓を与えてくれました。一つは、これまで私を指導してくださった中学時代の恩師の偉大さを再認識したことです。恩師は、部員一人ひとりの個性や長所をしっかり見て、それぞれに合った指導をしてくれる方でした。試合に出られない補欠の選手にも必ず声をかけ、課題を与え、チーム全体の底上げを図っていました。大学の監督とは正反対の指導法に触れたことで、一人ひとりに向き合うことの重要性を痛感しました。
もう一つの学びは、物事を俯瞰して見れるようになったことです。それまでの私は、自分が活躍することだけを考える「一人称」の視点しか持っていませんでした。しかし、試合に出られない状況で「どうすれば自分を見てもらえるか」を考え抜いた結果、「周りの選手を活かすプレーをすれば、その選手を活かしている私に光が当たるかもしれない」という考えに至ったのです。
自分だけではなく、チーム全体がどうすれば機能するのか。この「俯瞰する視点」を得たことで、指導者として、そして経営者として物事を考える上での礎が築かれました。あの辛い経験がなければ、今の私はいなかったと思います。
「教えっぱなし」にしない。自身の原体験から生まれた伴走型スクールと、その先の未来
──会社の強みや魅力について、教えてください。
私たちの主力事業は、プログラミングや営業スキルを教えるスクール事業です。最大の強みは、スキルを教えて終わりではなく、案件の獲得方法から納品後のフォローまで、受講生が自立して稼げるようになるまでワンストップで伴走することです。
これは、私自身が未経験からIT業界に挑戦した際の原体験に基づいています。当時通っていたスクールでは、ツールの使い方は学べても、それをどう仕事に繋げるのか、どうやって案件を取るのかは誰も教えてくれませんでした。せっかく身につけたスキルも、使えなければ意味がない。その課題を解決したいという想いが、起業の原点です。
そして今、私たちはその先の未来を見据えています。スクール事業を軸に、「IT」「金融リテラシー」「語学」という、これからの時代を生き抜くために不可欠な3つのスキルを子どもたちに提供する教育事業を展開していきます。その一環として、マレーシアの教育機関と提携し、グローバルな留学プログラムの準備も進めています。子どもたちが安心して海外に挑戦できるよう、自社で宿泊事業(民泊運営)も展開し、安全な滞在場所を確保する。すべては、子どもたちの未来の選択肢を一つでも多く増やすための布石です。

ワクワクする選択を。自分の可能性を信じ、一歩を踏み出してほしい
──若者へのメッセージをお願いします。
これからの時代を生きる皆さんには、ぜひ「自分がワクワクする選択」をしてほしいと伝えたいです。世の中には、私たちがまだ知らない世界や仕事がたくさんあります。最初から「自分には無理だ」と諦めるのではなく、自分の可能性を信じて、色々なことに挑戦してみてください。
私自身、体育教師からIT業界へという大きなキャリアチェンジを経験しました。それは、教え子から「社会を知らない先生に、社会の何を教えられるの?」と問われ、自分自身の選択肢の狭さに気づかされたからです。「知らないなら、見に行こう」。その一心での挑戦でした。
もし、今やりたいことが見つからなくても焦る必要はありません。何をしていいかわからないなら、一人で抱え込まず、誰かと一緒に見に行ってみるのもいいと思います。一歩踏み出せば、きっと新しい世界が広がっているはずです。

