本当は保育士になりたかった看護師
――御社の事業内容について教えてください。
関西限定で、有資格者のみによる地域密着型のベビーシッター事業を展開しています。最大の特徴は、登録しているシッター全員が看護師または保育士の資格を持っていることです。看護師に関しては、ベビーシッターとして1年以上の経験がある方、もしくは救命救急センター、ICU(集中治療室)、NICU(新生児集中治療室)、小児科で働いたことがある方に限定しています。臨機応変な対応力と、病児保育にも対応できる専門性を重視しているためです。
現在約40名の保育士と看護師が登録し、ベビーシッターとして活躍しています。個人でベビーシッターをされている方には、「ご自身が体調を崩したり急な予定が入ったりした時に、弊社のチームを頼ってくださいね」とお伝えしています。常にWin-Winな関係を大切にしています。
――ベビーシッターを始めたきっかけを教えてください。
私は、本当は“保育士になりたかった看護師”でした。高校生で挫折を経験して保育の道を諦め、看護師になりました。そこでも小児科を希望していたのですが、ご縁がなく、5~6年ほど急性期や慢性期の看護に携わっていました。
全力で子どもたちと関わりたい想いがありながらも、なかなか行動に起こせない日々。5~6年のそんな時に「自分の保育をやってみませんか」という広告を見つけました。私は考えるより行動するタイプなので、すぐにマッチングサイトに登録し、スタートしたのがベビーシッターとの出会いです。

エステサロンでの大失敗
――逆境経験とそれを乗り越えた方法について教えてください。
一番の逆境は、美容業界に参入した時ですね。在宅看護で雇われながら副業で個人事業を始めました。当初は物販をやっていましたが、周りの方々にたくさんご助言いただき、甘い考えの中「自分でお店をやったほうが早い」と即行動、半年間だけ自宅でのエステサロンを開業しました。
当時、物販事業を15人ほどの仲間でやっていたのですが、1、2ヶ月ほどでチームが解散し、その流れで自宅サロンでの集客にも頭を悩ませました。この時、人が離れていく怖さや、断られる怖さを経験しました。同時に自分は、組織作りや自分を売っていくのには向いていないと一番感じた時でした。
自分ができたらみんなできる、さらにリーダーシップもあると思い込んでおり、「自分が指示しないと!把握しないと!私ができるからみんなできて当たり前」というスタンスが大失態だったのだと思います。
――そこからベビーシッター事業でどう変わったのでしょうか。
ベビーシッター事業では、“もう絶対に一人も失いたくない”思いで始めました。自分の想いや価値観を押し付けるのではなく、みんなでこの会社を作っていけたら嬉しいというスタンスに変えました。
それでも最初は、“自分の積み上げてきた信頼と評価を下げたくない”が勝り、気づけば細かく指示してしまっていることもありました。保護者に毎回シッター評価をいただくのですが、「なんでシッターによってこんなに差があるんだろう」というのが一番の課題でした。
――どうやって解決したのですか。
研修にロールプレイングを取り入れました。私にとって当たり前にできていたことが、他のシッターには当たり前じゃなかったと気づき、「こういう時はどうする?」と実際の状況をイメージして考え、成功事例をみんなに共有することで、イメージしやすくなるようにしました。
会社としてもプロとして仕事をお任せしている立場なので、気になることがあってもうまく言えませんでした。しかし現在はシッターと一緒に成長するために、「今こういう評価をもらっているけれど、心当たりはある?どう考えた?」と伝え、振り返りができるようになりましたね。今は、ありがたいことに利用者さまに「どのシッターさんでも安心してお任せできる」と言ってもらえるぐらいまでになりました。
ヤングケアラーとして育った日々
――個人的な逆境経験についても聞かせてください。
私は、いわゆるヤングケアラーでした。実の父親とは生まれる前に離れていて、弟の父親を自分の親だと思いながら育ちました。父親が違うとわかったのは小学4年生の時です。
母は今でいうアルコールとギャンブルの依存症でした。お酒を飲むと都合のいい言葉ばかり並べ、約束を裏切られたり、パチンコから帰ってこない両親を弟と家で待っていたり。生活費を使い込むまでいく時は、家で激しい喧嘩が繰り広げられ、それを間近で見ていました。今でいうDVですね。
ただ子どもながらに「自分の大切な人を守ろう」と思っていましたが、周りの大人と関わっていくうちに中高生頃から「自分の親は正常じゃない」と気づき、そこからは親を反面教師にして考えるようになりました。
――その環境から何を得ましたか。
生きていく環境の大切さを学びました。子どもは親だけでなく、自分で生きていく環境を選べません。なぜなら、他の環境を知らないから。だからこそ多様な環境を作ってあげるのが大人の使命だと思っています。だから私は10年後、その使命のために、さまざまな大人と出会い、知れる環境を自分の子ども食堂で提供します。
よく「グレなかったね」と言われるのですが、荒れなかった理由があります。それは幼馴染のお母さんから、自分の子のように、愛をたくさんいただき、見守ってもらったからです。いつか「産んでもらったことには感謝して。自分で場所を選んでいいんだよ」と言われたことがありました。時間を重ねるにつれて「そういう生き方があるのか」と気づかされました。
だから今、子どもたちには「違う母の形があってもいい」と思っています。実親に対して、この世に産んでもらったことには感謝しないといけないけれど、その先は多様な親や家族の形、親孝行や感謝の仕方があるという考え方です。

若者・子ども・女性へのメッセージ
――今後のビジョンについて教えて下さい。
年内にシッター登録50名を目指しています。今後は、美容室やホテル、企業様と提携して、ママが綺麗になっている間の託児サービスや、周年パーティーといったイベント時の託児を展開したいです。また来年4月からは、幼児教育も展開する予定です。教室に通うのではなく、シッターが教材を持参し、家で習い事ができる、まだあまりない新しい分野だと思っています。
そして今、最大の目標は、40歳で子ども食堂を開くことです。大人と子どもを繋ぐ場所、子どもが大人の未来に“こんなふうになりたい”と思える生き方を見つけられる場所を作りたいです。現状、親子で来なければいけない子ども食堂も多いですが、私は子どもだけでも来ていい場所にしていきたいと考えています。子どもたちみんなが「ただいま」と帰ってこられる食堂にできると最高ですね。
――若者に向けてメッセージをお願いします。
“環境は自分で決められる”ということを伝えたいです。ただ決めた以上は、どれだけ時間がかかっても、目標を下げてでも、必ずやり遂げてください。しんどいからすぐ辞める人もいますが、「自分はここまでやる」と決めたことをやり遂げてから次に行ったほうが、絶対に自分の糧になります。
――小中高生へのメッセージもお願いします。
いろんな大人と触れ合ってください。「こんな大人が良い」と決めてしまうのはもっと先で良いです。とりあえず元気よく挨拶から始めて、自分から積極的に関わり、遊んでもらってください。いろんな大人を見ることができますよ!
その先で、“こういう生き方をしたいな”という形を見つけられたら最高です。私もまだまだなので、“一緒に出会おうよ”というスタンスです。恥ずかしければ、一緒に挨拶してくれる大人を見つけたらいい。いろんな大人と出会いに行こうという気持ちが大切です。
――女性に向けてのメッセージもお願いします。
仕事も恋愛も趣味もすべて諦めないでほしいです。私は、成功されている経営者の方から「成功したいなら恋愛なんてしている暇ないよ」と言われ、恋愛を横に置きました。何を目標とするかでもちろん結果は変わってくるのですが、やりたいことを全部できるように考えてみることが大切です。
特に女性の体には、子どもをお腹で育てて産むという機能があります。十月十日お腹の中で子を育てられるのは女性だけですので、ぜひその経験も諦めないでほしいです。私もまだ諦めていません!
そして子育てに追われ、やりたい趣味や仕事ができていない方には、「ベビーシッターをうまく使えばできますよ」と伝えたいです。使い方はさまざまです。皆さんに合った利用方法をぜひ一緒に考えさせてください。
最後に、特に若くして出産された女性は必要な情報が足りていないことも多いです。サポートを受ける際は、さまざまな情報を得た上で、比較や体験をして決めてほしいです。中には新生児から預かってくれるベビーシッターさんもいますし、頼ることは子どもたちにとってもリフレッシュや経験になります。強い意志さえあれば、できないことはないので、選択肢はたくさんあると知ってほしいです。
