社会人1年目の脳腫瘍発覚。そしてコロナ禍で売上ゼロへ
──逆境経験について教えてください。
私の人生における最初の大きな逆境は、社会人になってすぐの23歳の時に発覚した脳腫瘍でした。もともとプロ野球選手を目指していましたが、夢破れ、独立を目標に飲食業界へ就職したばかりの頃です。激しい頭痛やめまいが続き、検査の結果、脳の最も深い部分に腫瘍が見つかりました。手術できる医師は国内にほとんどおらず、手術の順番を待つ2年間は、いつ働けなくなるかわからない不安との闘いでした。
当時すでに結婚し、子どもも一人いました。手術の成功率は低く、医師からは「成功しても左半身に麻痺が残り、車椅子生活になる覚悟を」と告げられました。それを聞いた妻は、病院で気を失って倒れてしまったほどです。家族に支えられ、なんとか大手術を乗り越えましたが、この経験は私の人生観を根底から変えました。
そして、事業における逆境は、創業から2年後の2020年に訪れたコロナ禍です。当時は人材派遣事業が主力で、45名ほどの派遣社員を抱えていましたが、緊急事態宣言とともに全ての契約が停止。一夜にして会社の売上はゼロになりました。社員の生活を守らなければならないプレッシャーの中、まさに絶体絶命の状況でした。

「誰かの想いを背負う力」が、絶望を乗り越える原動力に
──逆境から得た教訓や学びについてお聞かせください。
病気を経験して最も強く感じたのは、「働きたくても働けない」という現実の辛さです。この実体験があったからこそ、同じように仕事で困っている人たちの力になりたいという想いが芽生え、人材事業を立ち上げる原点となりました。
また、コロナ禍で売上がゼロになった時、私は利益を追うのではなく「ギブ(与えること)」に徹しようと決めました。マスクが不足していた時期に、母校である平安高校に7000枚のマスクを寄付したんです。すると後日、その母校から「取引していた派遣会社を変えたいので、ぜひ君にお願いしたい」と連絡がありました。この出来事を通じて、目先の利益ではなく、まず誰かのために行動することの大切さを学びました。
こうした考え方の根底には、ずっと続けてきた野球の経験があります。高校時代、野球を辞めたいと思った私に母が「あなたの野球人生は、あなた一人のものじゃない」と、兄が私のために私立高校への進学を諦めた話をしてくれました。その時から、誰かの想いを背負ってプレーすることの意味を考えるようになりました。自分に負けたくない、常に昨日の自分を超えていきたいという気持ちは、今の経営姿勢にもつながっています。
ビジョンは「世界一、おせっかいな会社」。100事業でつくる雇用の受け皿
──会社の強みや魅力について、教えてください。
私たちの会社のビジョンは「世界一、おせっかいな会社になる」です。これは、私が闘病中に感じた家族からの無償の愛や、野球を通じて学んだ「誰かのために」という想いを、ビジネスで体現したいという考えから生まれました。時にはうるさがられるかもしれないけれど、相手の未来を本気で考え、先回りして手を差し伸べる。そんな他人軸で動ける人材が集まる組織でありたいと思っています。
このビジョンがあるからこそ、会社としての判断基準が明確になります。「それは社会のためになるのか?」「収益性はあるのか?」という二つの軸で全ての物事を判断し、目先の利益に流されない経営を貫いています。
今後の展望としては、「100の事業で1,000億のグループを作る」という壮大な目標を掲げています。これは単なる規模の拡大が目的ではありません。年齢や家庭の事情、ハンディキャップなど、様々な理由で働くことに困難を抱える人々がいます。そうした人たちのための雇用の「受け皿」となる事業を数多く生み出すことが、私の使命だと考えています。

夢がなければ、まず「できること」から。自分の器を広げ続けよう
──若者へのメッセージをお願いします。
若い皆さんには、どんな形でもいいので「夢」を持ち続けてほしいと伝えたいです。夢は、困難な時に踏ん張るためのモチベーションになります。もし今、やりたいことが見つからないのであれば、焦る必要はありません。最初から好きなことや得意なことを見つけられる人なんて、ほとんどいないからです。
大切なのは、まず「今できること」に精一杯取り組むこと。そして、その「できること」の少し外側にある、未経験の領域にチャレンジしてみてください。それを繰り返すことで、自分の器は確実に広がっていきます。できないことに挑戦し、それを乗り越える経験こそが、あなたを成長させ、やがて本当にやりたいことへと導いてくれるはずです。
起業を目指すなら、お金を稼ぐこと以上に「なぜ、それをやるのか」というビジョンを語ることが重要です。その想いが周りの人の心を動かし、協力者を引き寄せます。自分に負けず、挑戦を続けてください。
