学生起業家として成功と、ストレス系の病気を網羅する経験。
──波乱万丈な人生を歩んでおられます。逆境体験を教えていただけますか?
人生ずっと「逆境体験」の連続で、まるでジェットコースターのような人生です(笑)。その中で学んだのは「逆境を経験することで人間力が磨かれ、培われた力を発揮できる」という確信です。10代で父親が蒸発し、行政などに相談しても相手にされないといったドン底を経験しました。その時、弁護士の先生と出会ったことで「法律で同じような境遇の方の助けになりたい」と想いが芽生えました。そこで、法学部に進学するために早朝から新聞配達をし、深夜も皿洗いをするなど必死でお金を貯めたのですが、振り返るとこのときが一番精神的にキツかったですね。その後の人生も色々あるのですが、つまずきそうになると「また、イチから出直せば大丈夫だ」と、過去の経験が逆境に立ち向かう原動力になっています。
明治大学の夜間の法学部に進学し、並行して法律事務所でも勤務しながら一般的な金額の給与をいただいていました。しかし、そのころ母親が温泉宿に住み込みで働き苦労していたので「家族で暮らすために、もっと高収入を得たい」と考えて、事務所に掛け合って歩合制で稼ぐ選択をしたのです。「24時間、フリーダイヤルで法律相談」という当時からすると画期的なサービスを手掛けており、窓口を担当して受任につながったらインセンティブが得られる仕組みでした。大学1年生の時点でエリートサラリーマンの年収ほど稼ぎ、2年のときはさらに2倍になりました。
──その後、学生起業し「山と谷」をご経験されたと聞いています。
事務所から5,000万円を出資してもらい、競売物件を扱うとともに「米と粉物は儲かるぞ」という投資家の言葉を信じて、不動産と飲食店を経営することにしました。ある外資系のハンバーガー店の横に物件が空いていたので、「外国文化を選びますか?それとも日本を味わいますか?」といったキャッチフレーズで“おにぎり屋”をスタートしました。「あの世界的な有名チェーンにケンカを売る、学生起業家」と取り上げられて知名度が上がったのです。そこでメディアとの付き合い方を学びましたね。かといって「順風満帆」というわけではなく、重圧を抱えながら無我夢中で働き、それを発散するかのように朝まで飲みにいって2~3時間ほど寝るだけという生活だったので、ストレス系の病気は全て制覇しました(笑)。
逆境と成功は表裏一体。一度しゃがむことで飛躍できる。
──政治家を志し、あの羽田孜元総理大臣の元で修行を積まれたそうですね。
25歳のときに経営を退き、羽田先生の秘書になりました。法律家を目指したときと同じように「困っている人の役に立ちたい」というのが動機ですね。「出馬するも落選」という逆境を味わいましたが、落選の翌日に「親父」と呼び慕っていた羽田先生から直接連絡がありました。そこからは、朝5時に起床して後援会周りや、毎日3,000軒を訪問するという生活でしたね。羽田先生からは「地方から市街地まである選挙区を歩くことは、日本の縮図を知ることになる」という薫陶を受けました。ただ、大人の事情が色々と重なり政治の道から、一旦身を引く決意をしたのです。
議員にはなれませんでしたが、その背中を見てくれていた経営者の仲間たちから「うちのアドバイザーをしませんか?」「社外取締役をお願いしたい」というありがたいオファーをいただき、約95社ほどと契約させていただくことができました。今、47歳なのですが実は40歳の誕生日のときに高級ホテルのフロアを貸切にして、「私のパソコンを破壊して、引退式をする」という計画がありました。でもやっぱり仕事が好きなので引退はできませんでしたね。
──逆境を味わったからこそ得られた「教訓」を教えてください。
「逆境を味方につける」「逆境経験やコンプレックスは最大の武器」という人生哲学が磨かれました。運動の大原則として大きくジャンプするには、一度屈まなければなりません。ずっと順風満帆だと、しゃがむことがないのでどこかで成長は止まってしまいます。逆境は成長に必要な要素であり、「やらざるを得ない環境」を克服する中で自分の“限界のバー”が上がっていき、自分の資産になるのです。逆境経験は「強い経営者」になるための養分だと思いますね。私の原点も10代で困り果てている若者に対して手を差し伸べてくれない行政に対する憤りが、「この日本社会を変革したい」という志につながっています。
キラーコンテンツに満足するのではなく、さらに上を目指す。
──会社の強みやビジョンを教えてください。
6年前に知識も何もない状態で卓球プロリーグの『琉球アスティーダ』の運営を引き受け、やってきた逆境がコロナ禍です。月次で2,000万円単位の赤字が「どこまでも続く」という状況は経営的には厳しかったです。ただ、「逆境が来るのが前提」という心構えは不変でした。
会社としては、世界的スターの張本智和選手が所属しており、国内プロスポーツチームとして初の東京証券取引所「プロマーケット」に新規上場を果たしました。ちなみにこれは通過点で、いずれは世界の中心にあるマーケット進出を虎視眈々と狙っています。また、これもコロナ禍の逆境から生まれたのですが、「スポーツ✕ビジネス」をコンセプトとした会員制の経営者コミュニティー『アスティーダサロン』を新たな事業として立ち上げ、みなさんのおかげで育てていくことができています。「スポーツを応援しながら、ビジネスも加速できる」という点で、圧倒的に差別化できていることが当社の強みかも知れません。
サロンには志の高い経営者ばかりが参画してくださっています。交流会や勉強会を通じて、相談をし合えたり人脈ができたりとビジネスに役立つのはもちろんのこと、お互いに刺激し合いながら、「経営者として、さらなる成長につながる」というグッドスパイラルを生み出せています。当社もそうですが、本気で「世界を目指す」ことが可能ですよ。
一方で私としては、「日本社会をもっと良くしたい」という志は10代からずっと変わっていません。ですので、個人としては「地域やこの国全体を元気にする活動」にいずれ舵を切りたいという気持ちがあります。
辛辣なスパイスに込められた、若者に対する期待と真の優しさ。
──若者へのメッセージをお願いします。
一度きりの人生で限られた時間しかないので、「やるかやらないかなら、行動した方が良い」ということですね。そして私自身もそうですが、やってみなければわからないことがほとんどです。もし「何をどうやったらいいかわからないけれど、志はある!」という方がおられたら、ぜひ当社をお尋ねください。実際に、志のある若い方との出会いを求めて、若手起業家を応援する活動をしています。たとえば「経営に関する直球の質問を受ける」という会を開き、色々な悩みごとにその場ですぐに返答していますね。
そうした質問の中で「自分の力だけで、事業がうまくいっている」「ビジネスが発展しないのは、自分を理解しない周りのせい」と話すタイプの若手に対しては、辛辣なスパイスをほどこした言葉のシャワーを浴びせることもあるかもしれません。今の時代、簡単に会社を立ち上げることができるので、「なんちゃって経営者」も増加してきました。しかし、真の経営には組織づくりが不可欠で、そのためには経理や財務を強化する必要があります。資金についても、直接投資(エクイティファイナンス)を受ける方法もあれば、金融機関から借り入れする(デットファイナンス)もあり、それぞれ一長一短ですがそのリスクやリターンを判断するのは「経営ごっこ」では到底無理だからです。
「数千万円の売上で、社長を名乗るのは恥ずかしいよ」など、ズバッと厳しい言葉を伝えることもありますが、それは期待の裏返しです。私も社会から育ててもらったので、次は若手を応援する番です。今後もこうした「気づきを与える活動」などを通じて、若手起業家の育成や応援を地道に続けていきたいと思っています。