美容師時代、物販で破格の成績を上げ「営業・販売」が天職だと自覚。
――2年ほど前に、現在のコネクトタイム株式会社を創業されています。事業内容などを教えてください。
主事業は営業代行です。他に営業コンサルティングや経営コンサルティング、人材育成事業、SNS関連、コンテンツ制作事業などを行っています。
幅広く事業を展開していますが、「営業・販売」に関わることをベースに、そこから広がっているイメージです。いろんなことをやっていますが、すべて自分の核となっている「営業・販売」を軸としている事業なので違和感はないです。
――「営業・販売」を核とおっしゃいましたが、その背景をお聞かせください。
もともと、私は専門学校を出て美容師として働き始めました。昔の話ですが長時間労働が当たり前の空気があり、身体的にも金銭的にも苦しい時期でした。でも、駆け出しの美容師で給料も安い時期に、インセンティブを稼げることがあったんです。それが「物販」でした。美容院でシャンプーやコンディショナーを販売していますが、シャンプーをしながらお客さまと話して売り込むわけです。ほかの人は月間で5,000円や1万円の売り上げだったところ、私は10万円を売り上げていました。それでインセンティブがいただけるのですが、その金額もさることながら「自分はこういう販売が向いているんだな」と自覚したのです。そこで、美容師を辞めて、当時非常に活気があった携帯端末の販売職に転職しました。それ以来、マネジメントを任せていただけるようになるなど、仕事のレイヤーは上がっていきましたが、ずっと「営業・販売」の領域でやってきています。
会社の買収、事業撤退。二度に及ぶ「自分が知らないところ」で起こった逆境。
――携帯端末の販売職として再スタートされた後、どのようなキャリアを積み今に至るのでしょうか。
当初は携帯電話の販売店で派遣社員として働いていたのですが、徐々にマネジメントなどを任せていただけるようになりました。数年経った頃会議をしていたら、自社の会長とソフトバンクの孫社長が笑顔で握手している映像が目に飛び込んできたのです。ソフトバンクに買収されたことで、問題は自分たちがどうなるのかでした。正社員はそのまま働けるのですが、契約社員や派遣社員は保証がない。ただ、そこから何千人もいたであろう有期雇用のなかから、数えられるほどの正社員へのチャレンジを成し遂げ、ソフトバンクに雇われることになったのです。そのなかに私が含まれていました。もともと、派遣社員の立場でいるのがおかしいといわれるくらい、責任あるマネジメントの仕事を任されていたので、真面目に仕事に取り組んできたことが報われた気がしました。
ただ、当時はそれまでライバルであり、目標であって、追いつこうとしていたソフトバンクに買収されたことにわだかまりもありました。同僚のなかにはそれで辞めていった人もいます。でも、私としてはもともと専門学校卒の一介の販売職だった人間です。正攻法で行けばソフトバンクなんていう大会社に入れる可能性は低い。これはチャンスだと捉えて、ソフトバンクに身を投じたのです。
――ソフトバンクに入られて以降、どのようなお仕事を歴任されてきたのでしょうか。
基本的には営業のマネジメントです。ソフトバンクでは携帯事業のエリアマネージャー、最後の2年間は、DiDiモビリティジャパンで新規事業開発室のチームリーダーを務めていました。その後、ヘッドハントでDiDiフードジャパンにて営業本部長を担当しました。
ところが、入社からしばらくして、DiDiフードジャパンが事業撤退してしまったのです。ネガティブな撤退ではなかったのですが、撤退であることは変わらない。いきなり仕事が消えてなくなったのです。外資系の会社でそれなりのポジションにいましたので、そこそこの収入はありました。また、私は英語が一切話せないのですが、外資系企業でわざわざ通訳を付けていただいていました。そのタイミングでも、いくつかヘッドハントの話はありました。ただ、ほかの外資系ではさすがに通訳を付けてくれるという待遇は厳しいですし、国内企業だとそれまでと同等の収入は難しい。どちらを選ぶかという話になりそうだったのですが、だったら起業すればいいと発想を切り替えました。
――そのあたりが、今回のテーマである、逆境につながるのですね。
そうですね。振り返ると二度の逆境があったように思います。いきなり会社がなくなったソフトバンクによる買収。そして、突然の事業撤退。自分がなにか失敗したわけでもない。手が届かないところで起こった事件で、大きな影響を受けました。ソフトバンクによる買収時は確かに驚きましたし、大変な思いもしましたが前向きに捉え直しました。ソフトバンクという大きな会社で自分がチャンレンジするチャンスだ、と。二度目の逆境になる事業撤退では、「だったら、自分でやってやる」と考え方を切り替えました。自分で経営をしていれば、外的要因による影響は減らせます。誰しも、自分の手が届かないところでなにかが起こって、大変な目に合うことはあると思います。それを諦めの境地で見るのではなく、むしろチャンスに転換するくらいの気持ちで、他責ではなく自分の責任で動く覚悟が大事だと思いました。
外的要因の影響は避けられない。ならば影響を最小限にするリスクヘッジを取る。
――二度の外的要因による逆境が、今の会社経営にも生かされているのでしょうか。
もちろんです。最初にお話した、営業代行だけではなく経営コンサルティング、人材育成、コンテンツ制作など、事業を水平展開しているのはそのためです。社会の変化でなにかの事業が斜陽になっても影響が少ないように事業を水平展開しています。顧客も特定の業界に絞らず、広く展開することで特定の業界が傾いたとしても、経営に影響が少ないように考えています。外的要因による影響は避けられない。ならば、その影響を少なくできるようにリスクヘッジを取っていくのです。
――リスクヘッジという言葉が出ましたが、現在なかなか将来の見通しがわかりにくい時代だと思います。そこでリスクヘッジをとることは難しいのではないでしょうか?
ソフトバンク時代に驚いたのは、「短期計画」「中期計画」「長期計画」というと、もはや自分が生きていない未来まで見据え、短期から長期まで細分化していたことです。例えば、AIの進化で世界がどう変わるだろうか、それを見据えて会社の未来、自分自身の未来はどう変化するかを想像しなければならない。そうなると、目の前の営業の成績が落ちてきたことや、利益率が下がってきたなど、そういった目の前の課題は小さなことだと思えてくるのです。お客様の悩みも、普通は目の前の悩みから入ってくるのですが、「もっと長期的な視点で見れば、こちらのほうが大きな課題のはずでは?」と提案していきます。予測がつかない未来の話をしなければならないなら、視点を変えていく必要があると考えています。
社会を生きていくために、自分が最も大事にする「軸」を知る。
――最後に、若者に向けてメッセージをお願いします。
今から10年前、Uber Eatsのようなフードデリバリーやタクシー配車アプリも存在はしていましたが、ここまでの普及は見通せていなかったと思います。タクシー会社なんて、配車アプリを敵視していたくらいです。それがコロナ禍を経て、これだけ一般的になった。10年前には想像できなかった世界です。ところが、これだけフードデリバリーが浸透した現代においても、「コロナ禍は落ち着いたから、うちはUber Eatsの契約を辞める」という飲食店があります。コロナ禍はきっかけにはなりましたが、もう関係ありません。コロナ禍が落ち着いたから辞めるというのは、世の中の流れを読み違えているように感じます。また、コロナ禍に合わせたサービスを提供し、業績を上げた企業もありますが、一方でコロナ禍が終息し、流れの時が止まると経営が厳しい状況に追い込まれている企業もあります。人材の教育や売り上げが好調なタイミングでのさらなる事業展開、新たなチャレンジを怠ったのか、原因はさまざまだとは思いますが、時流に乗って売れるからと、教育などの人材に対する投資をおろそかにした結果です。
変化をどう捉えるか、どう対応するかというのはとても大切な視点だと思います。ただ対応するだけではなく、「これからどうなるか」を考える必要があります。ここで、気をつけてほしいのは情報の探し方です。現在はネット上でいくらでも情報に触れることができます。しかし、そのなかで、本当に役立つ情報、自分に有益な情報は多くはないのです。ぜひ、自分にとって本当に必要な情報はなんなのかを考えて、積極的にそれを見つけに行くという行動を取ってほしいと思います。
また、人間は一人ひとり違うので、アドバイスはこういうかたちで、総花的にできるものではないのかもしれません。ただひとつ、言えるとしたら、自分の「核」を見つけてくださいということかもしれません。私の場合、それは「収入」でした。美容師時代に低収入で苦労したから、自分の収入も大事にしてきました。それがワークライフバランスや仕事の内容という人もいるかもしれません。自分が生きていくなかで一番大事にしたい「核」を見つけられれば、どんな外的環境の変化でも対応していけると思います。