これまでに経験した4社。それぞれの「課題」ははっきり見えている。
――大学時代に起業してから、4社目だとお伺いしています。もともと、起業家志向は強かったのでしょうか。
いいえ、起業するとか、そういったことはあまり考えていなくて。中学生のころ、ものすごく大ざっぱな区切りで「数学ができるから理系だな」みたいなイメージで、自分は理系だろうと思っていました。それで高専に進学、高専卒業時に筑波大学に編入することになります。その筑波大学でショックを受けたのです。
自慢ではないですが、それまで自分は大きく失敗した経験が少なかったのです。成績はトップとは言いませんが上位でしたし、スポーツもそこそこできました。勉強で勝てなくても、スポーツで勝てる。その逆もあって、完全に負けてしまうということはあまり経験がありませんでした。ところが、筑波大学に入るとレベルが違う人がいる。勉強もスポーツもまるでかなわない同級生が何名かいました。「すごいな」と思うと同時に、頑張って勝てる相手じゃないと思えました。だって、電子部品のコンデンサーを見つめて、うっとりしているんです。確かにとても優れたコンデンサーなのですが、ちょっと意味がわからない。そういう人にエンジニアとして勝てる気がしない。これは住んでいる世界が違うぞ、と思い知らされました。
――そこで起業しようという発想になるのでしょうか?
いえ、そうはなっていないです。ただ、エンジニアとしては電子部品をみてうっとりするような人たちがトップになるんだろうということは理解しました。当時まだ学生ですし、技術者以外だったら仕事は営業しかないみたいな浅い知識しかありませんでした。だったら「営業をするか」と。
そんな時期に、声をかけられたのが「つくいえ」を一緒に立ち上げることになるリーダーでした。考え方はシンプルでした。5人が毎月10万円利益をもらえるようにしよう、というものです。当時の家賃は大体、月に3万円、10万円あれば事業が立ち上がるまでずっと挑戦ができる、という考えだったのです。
すべての事業で経験した逆境。それは次の事業に生かされていく。
――「つくいえ」に始まって、家計簿アプリや大企業での新規事業と経験を積まれていますが、そのなかで逆境と呼べる経験はあったのでしょうか?
それぞれの事業から離れるときは、逆境だったと思います。まず、「つくいえ」については正直、うまくいっていたと思うのです。お客様はついてきましたし、事業の内容も悪くない。けれど、目標だった「5人がそれぞれ毎月10万円」が達成できない。これはまずいなと思ったんです。事業は回るけれど、自分たちが大変だというわけです。結局、一年で「つくいえ」は売却することになってしまいました。より拡大をしていくにも市場規模に限界があり、商圏が限られていて拡張性がありませんでした。
次の家計簿アプリでは「だったら市場規模が大きい事業をやろう」と取り組んだのです。当時スマホアプリが増えてきているのですが、技術立国日本というわりに国産アプリがない。だったらスマホに必ず入っているようなアプリを作ってやろうという発想でもありました。ユーザーはついてきた部分もあり事業も拡大していきました。しかしマネタイズに苦しみ、結果としてBtoB事業が中心になり、toC事業は縮小するという経営判断があったのです。toC事業の責任者だった私は、「ならば責任を取ってやめるしかない」と考えました。BtoBのSaaSだからつまらない!と勝手に思ってもいました。今の事業は思いっきり、BtoBのSaaSなんですが(笑)。
――伺っていると逆境っぽく聞こえない気もしてきます。
私自身は結構、逆境感があったのですが、きっと前の失敗を必ず次に生かす、ということを心がけているからだと思います。「つくいえ」は市場規模で失敗したので、次からは必ず「市場規模の大きな事業」をやっています。家計簿アプリでtoC事業が縮小されたのはなかなか黒字化できなかったからです。だからその次は「黒字化できるようにやろう」という条件が加わっています。事業としてはうまくいっていたけれど、僕自身がまったく面白くない事業もありました。その次は「楽しめる事業」という条件が加わります。
こういう「成功条件を重ねていく過程」ってエンジニアっぽい。最初に失敗したら原因を突き止めて、その原因はクリアする。次に失敗したら条件が増える。失敗の原因をひとつずつ潰していきました。そういう点ではいまでもエンジニア的な発想なのかもしれません。逆境、つまり失敗がないと次のステップに進めない。進化できないのかもしれません。
仲間も従業員もお客さまも。自然にあるようにある。それが大切。
――ご自身が事業への取り組みで、最も大切にしていることは何でしょうか?
ちょっと抽象的かもしれませんが、「お客様も社内も、適切に回っていること」です。いま取り組んでいる「みえるクラウド ログ」のサービスが当たり前に使われていて、社員も当たり前に働いていて、幸せに暮らすことができる。そこに無理がない状態が理想です。
最初の事業だった「つくいえのときに、仲間5人が月に10万円手に入るというのが、その始まりかもしれません。そういう意味では僕が考えるビジネスの根幹だったのでしょうね。
古い考えかもしれませんが、「醤油の貸し借りができる環境」がいいなと思っています。お隣さんにちょっとお醤油を借りる。貸した方は大したことはしていないけれど、借りた方はとても助かっている。いつか、それを返そうとする。例えば、「若者チャレンジファンドしずおか」というイベントをやっているのですが、そこで僕が学生になにかアドバイスをする。僕自身は大したリソースも割いてないのです。まさに「ちょっとお醤油を貸した」だけなのですが、学生はそれでなにかに気がついたり、世界が変わったりするかもしれない。そういうことが実現できる社会であってほしいなと思います。
世界をまっすぐに見て、チャレンジを続けてほしい。
――最後に、若者へのメッセージをお願いします。
いろいろあるのですが、斜に構えて行動しないのではなくて、とにかく間違っていても、失敗してもいいから行動してほしいと思います。
チャレンジってとても大切で、自分ができると思っていることのほんの少し上をやることなのです。どうせできないだろうとか、失敗したらどうしようと考えるのではなく、まずやってみる。大事なのは成功したか失敗したかではなく、そこから何を学ぶことができたかだと思います。僕が経験してきた事業も、一回一回「どうしてうまくいかなかったのか」が積み重ねられています。どんな技術開発でも、失敗を重ねてやっとの思いで成功に至る。何もしないと「どうしてうまくいかないのか」さえわからないんです。最初からうまくいく方法、正解なんて誰にもわかりません。失敗だったとしても、それを次に生かしていけば、それは失敗ではなくなります。失敗は成功の母とも言いますが、続けていけばいつか成功すると考えています。
もうひとつ、「変えられないものはない」という話です。案外、世の中のルールは決まっていることがあって、それは変えられないと思っているかもしれません。でも、案外変えることができます。理不尽だなと思うルールだったら、なおのこと変えられます。
例えば、学校の規則って学生にとって「変えられない」ものの代表ですよね。私は夜10時以降、隣の寮に行ってはいけないというルールを変えたことがあります。「寮内外泊」と名前がついたのですが、寮生活をしていた高専時代に、外に遊びに行くわけじゃなく、隣の寮の友だちと話したいだけなんです。2年間この課題と向き合って担当の先生と話し続けたら、ルールを変えることができました。これが変えられたんだから、世の中のルールとして定着しているだろうということでも、案外変えられるものだと思っています。要は「どうせ変えられない」と諦めるのが一番だめなのです。だからこそ、「どうせ」と言う言葉は使わず、チャレンジする心を大切にしてほしいと思います。