30歳になるという節目で、上場企業へCXO Center事業を事業譲渡。
――これまでの貴社の事業内容について教えて下さい。
イベントの企画やプロデュースなど、主に3つのシナジー効果をもたらす事業を展開していました。1つ目は、上場企業の経営者層と中小企業の架け橋となる、その組織を礎とした経営者コミニュティの運営やイベントの開催です。、オフラインカンファレンスイベント「CXOCENTER CONFERENCE」の主催や企業様のウェビナー、イベント企画運営受託などを行なっていました。
2つ目はWeb3事業です。NFTの制作販売プロデュース事業で経済コミュニティ『 Web300 COMMUNITY』の運営をスタート。大規模イベントの開催やYouTuberのNFTプロデュースや資金調達を含めた支援活動などを行いました。
3つ目は営業支援です。営業に課題がある会社様へリードを支援させていただく事業です。
――今回の事業譲渡でCXO Centerが“アスティーダサロン”と合併されたとのですが、どういった背景でこの決断に踏み切られたのでしょうか。
今後会社をどうしていくか考えたときに、既存の事業であるCXO Centerの運営に対して、自分のやり続けたいことではないと思い始めていたからです。もう8年くらいやっていたこともあり、労働集約的なイベントをやることに疲弊してたんです(笑) ちょうどそのタイミングでもともと交流のあった「琉球アスティーダスポーツクラブ株式会社」の代表である早川さんとお話をするタイミングがありました。その際に、ちょうど早川さんも経営者コミュニティの立ち上げ構想を練っている最中で、とんとん拍子で話が進んでいきました。その結果、意思決定までには1か月もかからず、20代で上場企業への事業譲渡が決まりました。
――非常にタイミングが良かったこともありスピード決定に至ったかと思いますが、そんなに早く意思決定できたのはなぜだったのでしょうか。
大きくは3つあります。1つ目は、早川さんとお話していくなかで、しっかり運営していただけるイメージが持て、イベント自体も自分が運営していたときよりも良いものになっていくだろうと強く思えたからです。
2つ目は、もともとスポーツ業界に興味があったからです。スポーツもエンタメの1つであり、可能性を感じています。
3つ目は、早川さんの人間力に惹かれたからです。自分は今まで人に対してADHD的な不器用なふるまいをしてしまい、お世辞にも人間力がある人だとは言ってもらえない人間でした。なので、人間力などを一から学ぶために、ある本を読んで本気でディズニーランドでアルバイトするかを悩むレベルでした(笑)。早川さんは周囲から称賛や感謝の言葉ばかりをもらっていて、自分も少しでもそうなりたいと思い早川さんのもとで学ぶことになりました。
逆境の中で「変わろう」と思った。だから、行動した。
――逆境経験と、それを乗り越えた方法について教えて下さい。
「たくさんの苦難を乗り越えてきたんですね」と言われることが多いのですが、個人的には、「客観的に見ればまさに逆境」という局面でも、あまりしんどさを感じたことはないんです。事業が失敗したり人が急に去っていったり運営資金が枯渇しそうになったなどはベンチャーあるあるなので、普通のベンチャーあるあるハードシングスではメンタルにくることはありません。最近とかは準備してた事業を乗っ取られたり(笑) ただ、僕の場合はそもそもここに書けないような内容のガチハードシングスを多々体験しているのでダメージは受けるのですが(笑)1回経験したら免疫ができるので今はもう最強だと思っています。
人生を通しての逆境体験としてはまず、幼い頃に難病にかかったことと、何回も行われた手術です。幼少期の思い出は病院の記憶だけです。その後、進学した小学校が学級崩壊を起こしている環境で、自分自身も徐々に荒んだ生活を送るようになりました。それが高校中退まで続きます。転機となったのは、職人など働いてた仕事先や高校認定を取得するために始めた通信高校で出会った方々のおかげです。さまざまなバックボーンを抱えている人たちが、人生に対してアグレッシブにチャレンジしている姿を見て「自分も変わろう」と心の底から思いました。
そこで「難関大学に進学しよう」と決めたのです。それまで居た場所は「悪の巣窟」というと言い過ぎですが(笑)、一般的な環境でなかったことは事実です。だけど、とても居心地が良い場所で。だからこそ「ここにいたら一生流されてしまう」と、誘惑を断ち切るために携帯を捨てて一切の連絡を切ったのです。そしてbe動詞もわからない状態から受験勉強をスタート。自分を徹底して追い込み、1浪して法政大学に合格しました。
そんな人生の中で、自分の強みになっているのは「鈍感力」だと分析しています。空気を読んで無理に人に合わせるのではなく、必要とあれば嫌われても自分の考えをストレートに伝えるような物言いも辞さない覚悟で生きています。細かいことも気にしませんし、仮にメンバーが失敗をしたとしても怒ることはないです。
第二創業期、二足のわらじで再スタート。
――今後のビジョンについて教えて下さい。
まずは今回の事業譲渡に伴い、琉球アスティーダスポーツクラブ株式会社の執行役員として、日本最大級のスポーツを軸とした会員制の経営者コミュニティである“アスティーダサロン”を盛り上げていきたいと考えています。2023年12月にも23,24日と2日間にわたって「ASTEEDA FESTIVAL 2023 経営を圧倒的にアップデートする2日間」を開催し、1,000社以上の経営者の方にご参加いただき、ご縁をつなぐことができました。こういった大型イベントも含めて今後も仕掛けていけたらと考えています。
本気になれば、いつだって変われる!
――経営者として辛いときの克服方法と、ストレス解消法を教えてください。
克服の方法は「忘れるしかない!」のではないでしょうか?(笑)。例えば高校生の思春期のときに感じたしんどいことも、4年を経過して青年期になると「いい思い出」になっていることは多いです。だから、暇をなくすことが最善の策だと思います。私の場合は「スケジュールを詰め込む」などして、意識的に悩む時間を削っています。ストレス解消法としては「ひたすら眠ること」です。もともと睡眠時間を大切にしており、平日は8時間しっかり寝るようにしているのですが、「ストレスが溜まっているな」と感じたら完全にオフのときに「12時間睡眠」することもあります。時間がもったいないと感じることもありますが、それ以上に「起きているときのパフォーマンスを落とさないこと」の方が最優先です。
――最後に、若者に向けて一言メッセージをお願いします。
「人生はいつでもやり直せるので、頑張ってください」ということです。私自身の経験からお話しすると、勉強の仕方もわからない状態で退路を断ち切った理由は「甘え」を封じ込めるためでした。難関大学を受験した理由は、「高学歴で人生を一発逆転させる」という漫画やドラマが当時流行っていたことと、良い大学には「ビジネスをやっている人たちが集まっているからチャンスが広がる」と考えたからです。「新しい環境」や「人生に変革」を求めているなら、チャレンジして行動してください。
僕も今20代の時と生活スタイルが180度変化し、以前は六本木に住んでいて毎日飲み会でしたが、今は都心から少し外れたところに暮らし、浪人生のような生活をしています(笑)。STARSの事業としては諸々ステルス的に進めていきますが、第二創業期として新しい仲間も募集中なので、興味を持っていただける方はぜひ気軽にお声がけください。