反骨精神に火が灯され、「営業力」を磨いた修行時代。
──逆境やご苦労された体験談について教えてください。
もともと大学卒業後、家業の洋菓子の製造販売を手伝っていたのですが、29歳のころに「ほかの仕事も経験したい」と考え、いくつかの会社に履歴書を送りました。弟が大手営業会社に勤めていたことや「営業職に向いていると思うよ」という周りからの勧めもあって、営業職に絞って応募したところ、ある有名企業の最終面接に進むことができました。そこまでは「ぜひ来て欲しい」と面接官から言ってもらえるなど、トントン拍子で来ていたのですが、最終面接での社長の言葉は辛辣なものでした。「営業職は向いていない」「製造や飲食業と営業は違う」と断言され、大きな逆境を感じました。ただ、社会人としてあるべき姿について示唆に富んだ内容だったので、反骨精神にも火を付けてもらうことができ、次に向かうモチベーションにもつながりました。
その後、外資系の保険会社のマネージャーの方から誘われて外交員に。新入社員が60名ほどいるなかで2番目くらいの成績を収めていましたが「トップになれない」というコンプレックスを当時抱いていたことを覚えています。とはいえ、1年で50名が辞めていく環境の中でスキルアップできたことは大いに学びになりました。
外交員を経て「うちで役員をしませんか」と誘ってもらい、営業代行会社にジョイン。そこでは20代の若手社員に混ざり、32歳で光回線などの訪問販売を担当していました。どんなに寒くて雪が降っていても、クリスマスの日でもひたすら「チャイムを鳴らしてお話を聞いてもらう」という日々だったので本当にキツかった思い出です。ただ、頑張った甲斐があって「月20本とれたらすごい」と言われているなか、東海3県で行われた大会で「100本を獲得」という快挙を成し遂げることができました。しかし、ここでも結果は2位。「1位になれなかった…」という挫折感が胸に残りました。
また、役員時代を振り返って思うのは「もっと早く独立しても良かったな」ということです。トップにならなければ、自分の思い通りにコントロールできないことが多いので、「意見の相違」があっても折れる必要がでてきます。今の会社では「自分が思ったことを的確に実行する」ことを大切にしています。
自らの強みを活かして独立へ。周りから助けられた創業だった。
──苦労から得た教訓などについて、教えてください。
役員時代のことですが、成績を残している割に“給料が低い”という現実がありました。当時の経営者はワンマンタイプだったこともあり、こちらの意見をあまり受け付けてくれないところがありました。そんななか、会社の業績が悪化したのですが、真っ先に削られたのが私の報酬でした。妻と子ども2人を養っていくためにも、まずはアルバイトを探したのですが全部断られる結果に。そこで「自分には営業しかない!」と腹をくくり、独立する道を選択することになるのです。
起業してから気づいたのは「みんなが助けてくれる」「優しい人たちに囲まれている」ということです。これまでご縁のあったクライアントや知人たちが、数珠つなぎのように案件やお客様を紹介してくれたのです。そのため、会社を立ち上げる前には躊躇がありましたが、立ち上がりは極めて好調でした。コロナ禍も営業をオンラインで行うことができる社会に移行したことで、極めて効率的に仕事を進めることができています。
──社団法人を立ち上げられ、伝統野菜の啓蒙活動にも務めておられますね。
一般社団法人として「日本伝統野菜推進協会」の代表理事をしています。これは、「在来種の伝統野菜」を守っていくという趣旨の活動です。
一般的なスーパーで売られている野菜は農業の効率を高め、病気などにも強い「F1種」という種類の野菜で、美味しさなどが均等に保たれています。親品種の特性は遺伝しないため、種子は毎シーズンの購入が必要です。一方「在来種」は地域に根ざした「原種」を使うので土壌や気候などによって仕上がりが違います。地域ごとに多様な品種があり、それぞれ独特の味や形、色合いなどを有しているのです。手間ひまのかかる農法で栽培するため、一般的な市場での流通も限られています。これは語りだすと長くなりますので、後ほどまた説明しますね。
みんなが幸せになるシステムを構築。伝統野菜の啓蒙活動にも注力する。
──会社の強みなどは、どこにあると分析されていますか?
まず、営業代行の通信関連の業務については「以前できなかったことを、全部行う」ことを徹底しています。具体的には“ピラミッド構造で、上だけが儲かる仕組み”に破壊的イノベーションをもたらし、全員にしっかり利益が分配される仕組みを整えました。「みんながハッピーになるビジネスモデル」というのが当社の想いであり、強みだと信じています。そして搾取のシステムを排除したことで、「石川さんとまた仕事がしたいです」とおっしゃってくださるお客様が増加しているので、利益の面でも実は良いスパイラルを描けています。
そのほかの事業として「教育研修・人材研修」や、「マーケティング・コンサルタント」「補助金サポート」などを手掛けています。補助金についてはクライアントの課題に即して寄り添う形のサポートが得意です。「ヒト・モノ・カネ」という経営リソース全体のコンサルティング事業展開を目指し、今後は資産運用などの領域にも着手する方針です。
──『日本伝統野菜推進協会』についてのビジョンを教えてください。
そもそもなぜこの活動をしているのかというと、実家の製菓業でかぼちゃプリンをつくっていた際に出合った「伝統野菜のカボチャ」の美味しさに衝撃を受けたことがきっかけです。滋養に溢れ、味が濃く美味しいのです。ここから、伝統野菜を守り、伝えていくための協会を設立し、継承していく基盤を整えています。
また、昭和時代の野菜を思い浮かべていただければわかりやすいのですが、当時の人参を食べた方のなかには「人参が青臭かったり、美味しくなかったりした」という記憶を持っている方もいらっしゃると思います。野菜も進化を遂げており、今の人参は「F1種」で味にバラつきがありません。
この「伝統野菜」を栽培する方は少なく、知名度も「知る人ぞ知る」というところなのでブルーオーシャン市場が眠っています。「F1種」とは違い、均一的な風味に生産できないのが難しいところですが、例えば、バラつきがある風味も“野菜ジュース”にすれば「独特の美味しさ」という魅力に変化します。まずは「伝統野菜」の民間資格をつくって多くの方々に、その良さを知ってもらうことを念頭において活動しています。そして、「農業体験」や「食農教育プロジェクト」など徐々に幅を広げていきたいです。
信用できる人の「苦言」に耳を傾け、人を見る目をコツコツ養おう。
──若者へのメッセージを、一言お願いします。
自分に対して「苦言をしっかりと伝えてくれる」という信用できる方が周りにいるのは、とても大事なことだと思います。大人になると「叱られる」ことがなくなり、何かあっても、ただぷつりと関係がなくなるだけです。だから「自分のことを思って、ちゃんと怒ってくれる方」とのご縁は大切にした方がいいと私は信じています。
ただ、一方で「人を見る目を養うこと」も重要です。自分だけが得をしたいために「こちらに対して不快な発言をする」という悪い人も世の中には存在します。私の場合も、独立する前に「人」に嫌な目にあわされたことがあったのですが、当時つらそうにしている姿を見て「一度、食事に行こう」と誘ってくれて救い出してくれたのも、また「人」でした。
私の頑張りや成果を見てくれていて「資金を出してあげるから、独立しませんか?」と背中を押してくれました。そうした「人を見る目」というのは、一朝一夕に身につくものではないので、時には回り道をしながらも焦らずにコツコツと積み上げていきましょう。