潜在意識下の「人間不信」が、「真理」を追う出発点。
──社会人になるまでの逆境経験を教えてください。
最初の逆境は、中学校時代の壮絶ないじめ体験です。しかし、潜在意識レベルまで遡ると、「2歳になるまでの幼少期」の原体験が根底にあります。両親が忙しかったため祖母に育ててもらい、週末に母親が来てかわいがってくれるという状況だったのですが、1~2歳だった私は「月曜日の朝に連れて帰ってくれないということは、親から捨てられたのだ」と思い込んでしまう思考回路が形成され、その後の人生に大きな影響を与えました。
中学校で受けたいじめは、一言で表すと「地獄」でした。「こんなにも苦しい現実の中で、なぜ生きていかなければならないのか」と毎日思い悩み、大人たちが「救われる方法を教えてくれない」という現実に毎日苦しんでいました。1年生のころはからかわれる程度でしたが、どんどんエスカレートしていきました。そして、3年生のときにはトイレに閉じ込められて水を被せられたり、運動靴で踏みつけられた給食のパンを食べさせられたりという屈辱的な出来事が日常茶飯事で、精神的に追い詰められ包丁を手首にかざしたこともありました。幼少期のイメージに逃げ場のなかった中学校のいじめの実体験が重なったことで、「人間不信」が完全に潜在意識に埋め込まれたのです。
大学では、「人間の存在意義」を知りたいと考え物理学を専攻。しかし、自分の知りたい「真理」に対する答えがでないことに気づいたころ、友人から新興宗教の誘いを受けました。しかしそこでも「良いことを言っていても、結局は主観の世界」であることを理解し、科学にも宗教にも救いがないと考えました。
そうして「どう生きるか?」という人生の壁にぶち当たって自問自答したとき、一般的な煩悩を満たすとともに、「複数の事業をプロデュースするような、社会に影響を与える人間になりたい」という“願い”が芽生えたのです。そこで、大学4年の1年間は専門学校のデジタルハリウッドのプロデュース専攻に通い、3DCGを学びながら課外活動に力を入れるようになりました。その後、ITベンチャーで働くことになります。
ライブドアの急成長を、黎明期から支えたキーパーソンとして。
──ビジネスパーソン時代の逆境体験や、そこで学んだことなどを教えてください。
IT企業勤務を経て、株式会社ライブドアの前身となるエッジ株式会社に社長室 新規事業開発グループ プロデューサーとして入社したころです。ポータルサイトのメディア事業部における新規事業を、次から次へと立ち上げる日々を送っていました。M&Aで急成長していく同社の成長を支え、ビジネスのプロデュースのみならず総務や法務領域にも携わるという貴重な経験を積ませていただきました。会社の知名度や社会的価値と、幹部だった自分のポジションやステータスが急激に上昇する中で、気がつくと20歳のころに思い描いていた“願い”が全て叶っていたのです。
ただ、ビジネスパーソンとして「成功」はしていましたが高揚感はなく、虚しさを感じることが増えていきました。むしろ上に行けば行くほど数多くの部下やその家族に対する責任が大きくなり、相談ができる相手が少なくなるなど、どんどん孤独になっていったのです。また、年配者に対するリストラや、自分の意志とは真逆の社命を実行するつらい業務もありました。
ビジネスの中で学びを感じ、それを実行することで効果を感じたことの一例を挙げると「諦めて手放す」ことです。M&Aで会社が増えていく中で、最初のころは上から圧をかけるようなマネジメント手法をとってしまっていたのですが、3社目くらいからタレント事務所のように「従業員(タレント)が上で、自分はそれをサポートするマネージャーだ」という認識に切り替えたことでスムーズに組織が回り出すようになりました。
例えばニュース部門には、第一線で活躍するジャーナリストたちが組織に新たに参画してきました。しかし、当時の私たちに報道などのノウハウはなかったので、素直に「ネットのことは分かるけれど、報道業界のことは何も知らないので教えてください」というスタンスで対話していたのです。「人間は相手の威圧的な言動を嫌がる性質がある」ので、例え立場が上であっても「私たちの方が詳しい」というスタンスで臨むと軋轢が生まれることを、26歳のころに学びました。
世間を震わせた経済事件のあのとき、実はすでに覚醒し始めていた。
──2006年1月に起こったライブドア事件という大逆境を、幹部としてどのように乗り越えられたのですか?
あのときは、それまで我々をチヤホヤしていたような方たちや、メディアが一斉に手のひらを返し、社内は騒然とした状況でしたが、実は私はきわめて冷静でした。理由は、その1か月ほど前から覚者(悟りを開いた人物)の学びを得ていたからです。感情に惑わされることなく、自分がすべきことを一つひとつ丁寧に対処する術を身に付けていました。言語化するなら「反応しなくなった」というのが正しい表現です。荒れ狂う会議に参加していても「人間を動物としてみたとき、本能的になってしまうのは当たり前だな」と俯瞰的視点で捉えることができ、目の前で起こっている現象に感情を揺さぶられることなく、ありのままがストンと腑に落ちたことを記憶しています。
例えば、元有名外資系企業での勤務経験がある60代の監査役が急に怒鳴り込んできたことがあります。思い当たる節がないのに一方的に怒られるので、それまでの私なら売り言葉に買い言葉でケンカしていたところでした。ただ、相手の背景を洞察すると「孤独と不安を怒りという形にして吐き出しているのだ」という“本質”に気づくことができたのです。そこで20分ほど言葉には出さずに“不安を包み込む”と、笑顔になって戻っていかれました。
──激動の人生全体を振り返って、「逆境体験があったからこそ、手にできたもの」は、何でしょうか?
これまでの人生を統括すると、「人間の存在意義」に悩んだ末にビジネスの世界に飛び込み、黎明期から幹部として関わってきた会社が、一気にスターダムに上り詰めた後に日本の株式相場全体を震撼させた「ライブドア・ショック」の引き金となる栄枯盛衰を実体験しました。その経験が全てを手放すきっかけとなり、覚者のもとでの7年間の「悟り修行」を経て、そこで得た“目覚めた経験”をもとに、『潜在意識の使い方』という書籍を出版しました。そして、ロジカルな潜在意識メソッドを伝える事業を展開するという現在へとつながっています。
「ビジネス活動」と「潜在意識へのアプローチ」という、それぞれの方面で“針を振り切るような経験”ができたからこそ、双方の橋渡しとなる「中道」へと至る道筋を見出すことができました。そして、現在の「ワンネス(すべての存在が統一されているという形而上学的概念)」社会の具現化を目指すというビジネスへと到達しました。それが人生を振り返って「手に入れたもの」だと確信しています。
「中道」を実践する強み。そして若者への激励。
──貴社の強みを教えてください。
事業内容はシンプルに説明すると、「潜在意識を変えて自己変容する技術」を企業と個人に対してレクチャーしています。トヨタや三菱電機といった大手企業の幹部から、ITベンチャーや学校法人など過去10年で152社、5800名以上の研修や組織開発を手掛けてきました。大企業の役員になると、その肩に数万人の人生がかかっているので「本質を見抜く洞察力」を求めて受講されています。自分にも他人にも当てはまる部分があるので、例えば営業だと「顧客の潜在意識を可視化」することでお客様の満足度と自分の成績に直結します。ほかにも「売上が3倍に増えた」メンタルコーチの方や、「質問が深まって顧客が感動するようになった」キャリア・コンサルタントの方、「業績が260%アップした」という経営者の方もいらっしゃいます。再現性が高く、「劇的に変わることができる」という独自メソッドが強みです。
──最後に、若者に一言メッセージをお願いします。
「苦難はギフトであり、将来の才能につながる」ということです。苦難が大きいほど、それをクリアすることで莫大な知識やスキルを得ることができるのです。テレビゲームでいえば、強敵ほど倒した後に得られる経験値が多いことに似ています。若いうちに逆境や苦労を体験したとき、「成功へのチャンスを掴んだ」と思えるようになればしめたものです。巨大な敵が向かってきたとき、逃げるのも一手ではありますが「レベルアップしたい」と思ったなら、ドラクエのメタルスライムのようにチャンスが逃げないうちに早々にチャレンジしてください。