自社の施設じゃないからこそ求めるホスピタリティ 誰か一人の幸せを想像する接客精神
—— まずは御社の事業内容について教えていただけますか?
弊社では主に施設の運営を行っています。施設と言っても市民体育館や市民グラウンド、遊園地やプールなどのアミューズメントと多種多様です。東は千葉の道の駅、西は福岡の温浴施設まで合計30ヶ所近くの運営を行っています。
ここ15年ほどで公共施設の運営が民間へ委託されるようになり、弊社で運営する施設も増えてきました。また現在別荘を一軒立ち上げており、今後さらに一つ建設するため現在は図面を作っている段階です。
以前までは行政が管理していた施設も、少子高齢化が進み行政で管理することは難しくなりました。結果として民間企業が施設を運営し収益を上げられるようになったため、コンペで経営権を得たあと、弊社で運営をしています。
弊社ではスポーツ施設の運営もしていますが、各メーカーも施設の運営に進出しているため競合他社にあたります。また温浴施設の運営は、その土地の
地元企業が、経験がなくても自分の育った地域を活性化させようと施設運営をするケースも珍しくありません。
ただ弊社はスポーツや温浴施設、飲食、宿泊などすべてを手掛けていて、その点は他の企業と比べても差別化出来る特徴だと思います。
ーー施設を運営するために気をつけていることはありますか?
例えば古い市民プールの管理をするスタッフがいたとします。その人には来場するお客様が、「今日が唯一の思い出になるかもしれない」と思って接するよう伝えています。この市民プールから車でで30分ほどのところに大きなレジャープールがあるのに、わざわざ市民プールに来る。そこで「子供を連れてくるならもっと楽しいところが良いのに」と思ってはだめです。
もしかしたらレジャープールは高いけど市民プールなら遊ばせてあげられる、親の仕事が忙しく疲れた体で無理して連れてきているかもしれない。このようにお客様の背景などもしっかりと考えた接客をスタッフには求めています。
弊社では世界選手権が行われる競技場もあれば、数百円で入れる市民プールまで様々な規模の施設を運営しています。施設自体を私達が改装したり建設したりは出来ませんが、ホスピタリティを持って接客をすることで、お客様に思い出を作ることは出来ます。
だからこそ与えられた状況で最高級の接客をしてほしく、常にホスピタリティは大切だと考えます。ディズニーランドが人気なのはもちろんシンデレラ城があることですが、キャストのホスピタリティが多くを占めています。
弊社にはミッキーはいませんが、施設に思い入れを持つことでさらに素敵な施設へと運営することが出来ます。
500人のアルバイトを集めるため大学のサークル勧誘へ潜入 サークルの部長と協力し社員3名で採用活動を成功
—— 薄井さんの経験で大変だったことは何でしょうか?
35歳にウエルネスサプライを設立しましたが、その以前は関西テレビの子会社で当時神戸に出来る予定だった世界一のプールの運営を行っていました。ただ7月オープンに合わせて500人のアルバイトを採用しなければいけませんでした。
当時は携帯がないため連絡も気軽に取れず、アルバイトが無断欠勤をした日には運営が回らなくなります。そこで私は阪神間の大学のサークル勧誘を回り、サークルの代表を務める人とコンタクトを取りました。「君のサークルのメンバーのシフト管理をし、うちでバイトをして欲しい。バイト代に合わせてこの夏プールの運営が終わったら合宿代として20万円払う」と伝え、アルバイト採用をこなしました。
サークルの代表というリーダーとつながりを持つことで、連絡の指示系統を確保し500人のアルバイトを、わずか3人の社員で管理しました。
その後関連会社に話が広がり、次のビッグプロジェクトにも抜擢されました。ただそのプロジェクトは当時私が所属していた会社のライバル会社が指揮を執るプロジェクトでした。そのため私は会社から手を引くように言われ、このままでは自分のしたい仕事ができないと思いました。最終的にそのプロジェクトを実行するため会社を退職し、ウエルネスサプライを設立して今に至ります。
阪神淡路大震災の影響、信頼していた仲間と別れ ピンチをチャンスと認識する用になったきっかけとは?
—— 入社後に苦労したことや、どのように乗り越えていったのか教えていただけますか?
会社を設立した最初の1年半は順調でした。ただ、阪神淡路大震災の影響を受け運営していた施設が崩壊し、仕事がなくなり高速道路から落ちかけているバスを目の当たりにしました。
その時に今までの売上を7人の社員で等分し解散も出来ましたが、本音で一人ずつ話したところ、全員が「やれるところまでやりましょう」と言ってくれました。そこでまずはこの状況を凌ぐための資金作りとして、メンバーには解体や瓦礫処理の仕事を任せ、私は仕事を取るために走り回っていました。最終的に翌年は震災前を超える売上を記録し、状況は再び改善されました。
ただ本当に苦労したことは当時信頼していた仲間が社員を引き連れて離れていってしまったことです。当時は震災の影響で仕事がなく、「このままではだめだ」という思いで次から次へと仕事を受けていました。
私は良かれと思って仕事を取り続けましたが、社員にとってはこれ以上仕事が増えると大変だと感じていたのでしょう。そこに気付くことが出来なかったのは私の失敗です。ただそこで未来のビジョンを伝え何のために仕事をするのか、社員の将来のためにやっていると伝えることの重要性に気付かされました。
当時私は「そんなことは当然伝わっている」と思っていましたが、そうではありませんでした。ですからその後は、ビジョンやミッションを可視化し「なぜこの仕事が必要なのか」をメンバーに伝えています。経営計画を見せたり、中長期的に会社がどこへ向かっているかなどの共有が大切であることも発見できました。
そのため私はこのピンチに対して、自分の落ち度を振り返ることが出来たチャンスと捉え、その過去があるからこそ今の自分があると思っています。
ーーご自身の経験を踏まえて、最後に読者にメッセージをお願いできますか?
私自身いろいろなピンチを経験しましたが、若い人には無限の可能性があるため悔いのないように過ごしてほしいと思います。くよくよ考えて動かないことは一番もったいないので、どのような判断をしても良いですが、やらないという選択肢はもったいないと思います。
長い人生失敗することももちろんありますが、失敗を恐れてチャレンジをしなければ一生成功することはありません。
例えば今みなさんは自分の足で歩けますが、生まれたての赤ちゃんは歩けませんよね。誰から教わることもなくハイハイ歩きを覚え、回りが立って歩いてるのを見て、自分で歩き始めます。
最初は当然何回も転ぶでしょう。でも、赤ちゃんの頭には「絶対に歩く」という考え方しか無いため、諦めることは無いでしょう。だから私達も失敗したらまた次も挑戦すれば良いと思います。そこでチャレンジを忘れない気持ちを持ち続けてほしいです。
失敗したとしても自分の選択に納得を持てれば、次もまた頑張れます。人生は1回しかないので、悔いの残らないよう幸せな人生を歩んでほしいです。