「右も左も分からない戦場に一人で降り立ち、途方に暮れたところから出発しました」
—— 最初に事業内容について教えてください。
当社の祖業は、写真現像機の製造販売です。写真現像機とは、撮影した写真のデータを写真として紙に打ち出す機械です。1951年から、写真現像機の製造販売で大きく成長しました。
しかしながら、1990年代後半にデジカメが市場に参入したことにより、写真を打ち出すという行為自体が世界中で激減しました。最後に写真を打ち出したのがいつだったか思い出していただければお分かりになるかと思います。皆、PCやスマホの中に写真として保存はしているけど、写真として打ち出すことはめったにないと思います。写真として打ち出す枚数が、グローバルで数百分の1に減っています。
その結果、祖業の写真現像機事業が大打撃を受けているので、それ以外の事業を積極的に創るという多角化をすすめています。特に医療分野や介護分野が中心ですが、最近では畜産分野にも進出しています。
――写真現像機のメーカーが、なぜ和牛の出産を見守るカメラ「牛わか」を事業化したのでしょうか?
「牛わか」は昨年リリースした新規事業で、AI(人工知能)を搭載したカメラで和牛の出産を見守ります。和牛は出産の際に5%の確率で仔牛が亡くなってしまいます。仔牛の市場価格は一頭80万円ですので、農家さんにとっては大きな痛手です。
そこで、和牛の出産の際に農家さんに立ち会ってもらい、安全に出産できるよう補助してもらう必要があるのですが、その出産タイミングを予測して農家さんに伝えるのがこの「牛わか」です。
「写真現像機メーカーが、なぜ畜産?」とよく聞かれますが、そこにはストーリーがあります。
当社は、写真関連の技術、つまり画像解析とか画像処理が得意です。その技術を使ってはじめに作った新規事業が、病院で患者さんを見守る技術。そしてそれを、介護施設での高齢者見守りに横展開しました。さらにそれを、和牛の出産見守りに横展開したのが「牛わか」です。
新規事業創出の基本通りの動きですが、「隣の敷地」への展開を繰り返して、新しい事業を創る考え方です。その結果、畜産にたどり着きました。なので、我々にとっては当たり前の事業の展開です。実はさらに次の展開もすでに視野に入っており、また面白い技術が後日生まれる予定です。
―今でこそ様々な新規事業が立ち上がり、会社の変革に向かっている最中かと思いますが、就任時の様子はどうでしたか?
ヘッドハンターに今回のポジションの紹介を受け、2016年に和歌山に単身で乗り込みました。和歌山に足を踏み入れるのも初めてでしたし、右も左もわからないまま、会社のトップとして降り立ったわけです。パラシュートで真っ暗闇の戦場に降り立つような気持でした。
就任初日に全社員の前であいさつしましたが、その情景は忘れられません。私のあいさつの間、皆がうつむき、だれも私を見ていません。それはそうですよね。突然株主が変わり、新しい社長が社外からやってくるわけです。横文字の会社を渡り歩いたよくわからない人間が「今日から社長です!」って言ったって、普通は不安感しかないと思います。
「自分以上に会社のことを考えている人間はいない」
――社員とどんなコミュニケーションを取っていましたか?
古い会社だったので、就任当時は上意下達の文化が根強かったです。大きな会社の場合はそれもありかもしれませんが、当社のような中堅メーカーにそれはフィットしないと考えました。会社には上下関係はない、あるのは役割分担のみ、ということを伝えました。組織図を逆さまにして、全社集会で説明もしました。
自由闊達な議論が会社を変えると考えているので、とにかく従業員に発言を促しました。ミーティングでは参加者が発言するように半ば強制したこともありました。私自身も、従業員とコミュニケーションをとることを意識しました。私の思いを伝えるために、リーダー層とは1vs1で何度も面談をするし、一般の社員とも機会を見つけては話をするようにしました。
そんなことを繰り返すうちに、徐々に会社が変わってきましたし、明らかに健全な会社に代わりました。
――意思決定中に「間違ったらどうしよう」と思ったりすることはありますか?
私は社長だし、私以上に会社のことを考えている人間はいないので、最後は私が意思決定をします。そしてそれが間違ってしまったらそこは仕方がないと割り切っています。日本企業の悪いところは、そこで意思決定ができずにずるずる時間を使うことだと思うので、たとえ間違っていてもスピーディに意思決定をすることを意識しています。それで明らかに間違っていたら、素直に謝ります。全社員に謝ったことも、何度かありました。
また、新規事業創出は難しい意思決定ばかりです。でもリスクを取らないことが最大のリスクなので、「失敗してもいいから前に進もう」と社内には呼び掛けています。実際、頑張ったうえでの失敗は、失敗とカウントしていません。
苦しい時でも「常に与えられた状況で100%以上を出す
—— 他に苦しい局面だったことはありますか?
2020年のコロナ危機は本当に苦しかったです。会社が良くなってきて、「さあこれから!」というタイミングだったので、ショックは大きかったです。先が見えない中で、本当にあとどれくらい耐えられるか・・・という状況になり、絶望的な気持ちにもなりました。半泣きになりながら知人に相談したことを覚えています。感染拡大で社会が止まると仕事や営業ができず、ものづくりもできないし、売り上げも立たないのです。目の前が真っ暗でした。ただ、嘆いていても何も変わらないと考え、とにかくできることをひとつずつ確実にやるようにしました。
最終的には何とかなりました。というか信じられないことに、コロナで苦戦した2020年度も黒字で乗り切りました。そのときは驚きとうれしさでいっぱいでした。わが社は強くなったのだ、と心から実感したのはこのときです。
――それでも経営者という仕事を続ける理由は?
経営者というのは会社の悪い情報が集約されるところで、毎日つらい話ばかり届きます。それでも、誰にも愚痴は言えないし、誰も同情してくれません。何かうまいことしても、もちろん誰も褒めてくれません。場合によっては人の責任も取らされます。孤独ですので、それに耐える精神力は必要だなと、日々感じています。
でも、それ以上にやりがいが大きくて、それがあるので続けられます。自分の力で会社が強くなり、従業員やその家族の幸福度が少しでも上がれば、それは本当にうれしいことです。小さなことかもしれませんが、コロナ危機を乗り切って黒字化した時に、少しだけですが社員に臨時ボーナスを出しました。苦しい時期を一丸となって乗り越え、その結果ボーナスを出せ、みんなで喜びを分かち合えた時のことは一生忘れません。心からしびれる体験でした。
また、人は何歳になっても成長する、ということを今の会社で学ばせてもらいました。一生懸命教育をすると、人はどんどん成長します。何歳になっても人は変われるのだということを知りました。その成長を見るのが何よりもうれしいことで、その喜びを味わえるのもこの仕事の大きなやりがいです。
世の中で名をなした人たちの共通点は、常に「与えられた状況で100%力を注ぎ、結果を出す」ことだと考えています。それを誰かが見ていて、次のチャレンジの機会が与えられる。そんなことを繰り返しているように見えます。私も油断すると使い物にならなくなってしまうので、常に「コンフォートゾーンから抜け出す」ということを意識しながら、自分の成長のためにできることをやっています。
「リスクを取らないことが一番のリスク」
—— 若者へメッセージをお願いします。
失敗を恐れてリスクを取らないことが一番のリスクです。失敗というのは、そこでやめるから失敗なのであって、成功するまでがんばればそれは成功の一部となります。なので、失敗を恐れずに、思ったことに挑戦するとよいと思います。そして、与えられた環境で100%のパワーを注ぎ込んで結果につなげることにフォーカスするとよいと思います。
それから、「自分の市場価値を高める」ことも常に意識してほしいです。常に客観的に自分を観察し、「市場価値は上がっているか」、つまり「成長しているか」を徹底的に問いかける癖をつけるとよいと思います。入社するなら大企業がいいとか、スタートアップがいいとかいう議論は意味がなく、「自分の市場価値向上につながるか」という目線で、キャリアを考えることをお勧めします。