直営店が数店舗のところから数百店舗まで広げていくという仕事
—— 初めに、サービスや事業内容について教えてください。
フランチャイズチェーン営業代行業がメインです。ベンチャーでまだ数店舗しかないフランチャイズ本部がフランチャイジーを獲得するための営業のアウトソーシングを受ける会社です。なので、お客様は基本的に法人企業で、新規事業を探しているところです。そこに対して、「新規事業をやりませんか?」という営業活動を代行しています。
創業当初では、「ステーキけん」、「チェゴヤ」、「串カツ田中」、介護施設、最近では、24時間営業のフィットネスジムなどを担当しました。直営店が数店舗のところから数百店舗まで広げていくという仕事をやっています。
営業手法としては、DMを打ったり、FAXDMを打ったり、ネットで集客したりして説明会に誘導し、新規事業に興味がある企業に対して提案、クロージングをしていきます。あとは、営業に関連して営業マン研修をしたり、営業に関わる部分でアドバイスをしたりと、営業関連の仕事をしている会社です。
調子に乗って独立した結果、3年で2億4千万の赤字に
—— 過去の失敗談について教えてください。
創業の動機と、そこからの活動ですね。’この会社を創業して15年になりますが、その前は役員4人でベンチャーを立ち上げて、マザーズに1度上場しています。30代半ばで数千万円もらって、数億円持っていたのですが、会社が勢いに乗ったことで自分自身も調子に乗ってしまい、部下を連れて独立しました。何やってもできるなって調子に乗って独立してしまったので、何をやるかはあまり決めていませんでした。
結果、3年で2億4千万くらいの赤字を出して、大変なことになってしまいました。今であれば、しっかりとマーケットを分析したり、どのような戦略でやるかを考えますが、当時は「前の会社より大きくなって見返してやろう」とか、「俺だったら絶対大丈夫だから連いて来いという」ような気持ちが強過ぎました。それが、大きな失敗の要因ではないかと思います。
30代半ばで上場会社の役員をやって、毎日タクシーで送り迎えしてもらって、偉そうに銀座とかで飲んでました。「俺ならできる」と思い、独立したらすごい痛い目にあったという感じです。
創業してすぐに新卒も採用したので、社員は14、15人いました。すぐに大きい会社にするぞという気持ちで、何をするか決めていないのに最初からエレベーターが3基くらいあるようなインテリジェンスビルを借りて、家賃を毎月100万も払っていました。
もともと前の会社が、当時の最短上場記録を作ったんです。私は営業担当の役員をやっていて、売り上げを倍々で引き上げ、数千万から始まり、数十億まで売り上げを取ってきました。今思うと恥ずかしいですけど、「俺は何でもできる」とほざいていました。
あまり慎重になり過ぎても全く意味がないですが、勢いで調子に乗って行くというのもあまり良くないかなと思います。やりたいことではないのに見返すためとか偉そうにするために会社を始めたということは良くなかったです。リアルにお金が減っていきますから、結構しんどいですよ。
「いつかは自分でやる」というのが今の時代にあっているのではないか
—— 学生で、「かっこいいから」や「誰の指示も受けたくないから」という理由で将来起業したいという人もいますが、それは気を付けたほうがいいですよね?
「誰からも指示されない」は確かにその通りで、自由は思いっきりあります。一方で、組織をもった方が良いのかフリーランスが良いのかは別の話です。フリーランスは自己責任で自分を売り、契約をとってやっていくので、1ヶ月休もうと思えば休めますし、誰の指示も受けないです。社長だとやはり部下もいますし、経営をしないといけません。大きい仕事はできますが、自由度が減ってきます。
今思うのは、私は新卒でコンサルに入って営業をやっていましたが、やっぱりいつかは自分でやるというのが今の時代にあっているのではないかということです。ずっと会社にいて働くのはしんどいと思います。
昔は、一生懸命に頑張って給料が上がっていって、仲間と楽しく頑張ろうというような社会でした。今はどちらかといえば個人の生き方にフォーカスされています。やりたくない仕事を我慢して、給料がもらえなくなる不安でずっと会社にいるというような新卒1年、2年は沢山いますが、そういう人たちは先に辞めてしまった人のことを馬鹿にします。
でも、先に辞めた人の方が輝いていて、生き生きとしていて、5年、10年すると活躍していることもあります。不安から組織にしがみつくのではなくて、勇気を持ってやりたいことをやる人の方が、今後輝く社会ではないかなと思います。
自分の得意なことに集中した、私の場合は営業だった
—— 調子に乗って独立して失敗されたというお話でしたが、その失敗をどのように乗り越えられていったのですか。
そこからの数年はただただ苦しかったです。月末になると支払いの督促がかかって
来たり、家には支払いの内容証明郵便が来たりしました。給料を払えないとなると社員も辞めて行かざるを得ないですし、そういう面では本当に辛かったです。
でもやはり、営業で稼ぐしかお金は返せないなと気づき、徐々に販促費を使うようになりました。そこから売り上げが回復して、数年かけて負債を減らしていきました。自分の強みに気付いてそこに特化したということです。私の場合は営業活動です。得意なことに集中したという感じです。
やることがなくて儲かりそうなものに飛びついたがうまくいかなかった
—— 初め独立された時は売るものがないという状態でしたが、そこから今の事業をされるようになったきっかけはありますか。
今の事業は創業当時から社員が1人だけやっていました。そのほかの人はやることがなくて、当時はバスケットボールがプロ化された年だったのですが、私はBJリーグの幹部と仲が良くてフリーペーパーを作ろうということになったんです。
私はバスケもやったことがありませんでしたが、儲かりそうという理由で始めました。
高校バスケ部の顧問の先生に電話でアポを取り、部員の数と使用しているシューズとウェアのメーカーを聞き出して、フリーペーパーを送っていいか了解を取るということをその他の社員全員でやっていました。
3600校から了解を頂き、各高校の顧問の先生に36ページフルカラーのフリーペーパーをお送りし、校内で配布してもらいました。唯一高校の中で配られる媒体を作ったんです。北海道から沖縄までの大手のスポーツショップで、全部で毎月10万部くらい作りました。
フリーペーパーには、毎月1000万円くらいかかっていたのですが、売り上げが全然なくて、2億円なんてあっという間に使ってしまいました。創業当初やることがなくて、儲かりそうなものに飛びついたもののうまくいかず、コツコツやってくれていたフランチャイズの営業代行で利益を上げて、ギリギリ耐え忍んでくれていたという感じです。
そうして、やっと黒字になった翌月にリーマンショックが来まして、例えばナイキやアディダスなどのスポンサーの広告費が10分の1になると言われて、これはダメだということでフリーペーパーは廃刊になりました。多くの社員が辞めていって、フランチャイズの営業メンバーが残り、わずか4、5人になりました。その時から今の事業に特化していったという感じですね。
やっている時に充実感を得られることが自分のやりたいこと
—— これらの経験から教訓として学ばれたことはあったのですか。
結局、自分のやりたいことでないと続かないというのが教訓です。やりたいことをやった方が成功しやすいなと思います。成功というのも、大きくなることや稼ぐことだけではなく、充実や満足することであったり、そういう意味での働きがいとかではないかなと思います。他人の目を気にして頑張ってもうまくいかないということです。
やりたいことが明確な人はそんなにいないです。私の場合は営業が得意と思っていましたが、営業の中のステップとして、アポとり、面談、企画書制作、クロージングなどのさまざまある中でも「しゃべる」というフェーズが好きだったんです。
それに気付き、「しゃべる」ことを中心に置いて自分の仕事を再設計したらうまくいきました。やりたいことについて、多くの人が間違えるのが職業であったり、分野であったりなんですよ。でもやりたいことというのは1つの要素です。私であれば営業の中の「しゃべる」ということです。
そこに気付くヒントとしては、何をしている時に充実感を感じるかということです。熱狂や喜び、達成感ではなくて、夢中になってしまうこと、いくらやっても飽きないことです。職業、分野、業界ではなくて、そういうテーマを見つけるというのは大事です。