意思があれば誰でも働ける社会に
—— 事業内容を教えてください。
障がいを持っている方や難病を持っている方あるいは休職中など、今は思う存分の仕事パフォーマンスを発揮できていない人たちがいると思います。このような、意思を持っているけれど現在何かしらの事情で、仕事を通じて自分自身のパフォーマンスを最大限発揮できていない人たちを潜在的労働力と呼んでいます。この潜在的労働力のある方々が、ビジネスの市場で活躍できる仕組みを作っています。
ビジネスモデルはシェアリングプラットフォームです。障がいを持つ方(ワーカー)に対して、私たちは民間企業から受注した仕事を提供しています。ワーカーから納品されたものを私たちがクオリティコントロールを行ない、発注企業に納品しています。
これはビジネスプロセスアウトソーシングと呼ばれる領域で、企業のある業務を外注する部分に当たります。その受け手が、潜在的労働力を持つ方たちでも十分に活躍できると確信しました。
――今の事業と起業前の製薬会社での経験はどのようなつながりがありますか?
起業前に働いていた製薬会社では、主に精神疾患系と生活習慣病系の医薬品を担当していましたが、患者さんの声を聞くと「仕事での成功体験」を積み上げるためには、薬で体調が安定して働けるようになるだけでは実現できないことを知りました。同時に、自分自身のパフォーマンスを最大限に発揮して、仕事を通じて自分の存在価値が認められる機会も圧倒的に少なかったのです。
当時の私は、いい薬を通じて患者さんのQOLを高めることを使命としていました。しかしいい薬だけでは解決できない「仕事の問題」が解決されない限り、どんなにいい薬を作っても、患者さんのQOL向上には限界があるという実態を目の当たりにしました。
そこから私は、医薬品ではなく、どんな障害や疾患を持っている方でも、意思さえあれば、ビジネスの世界で活躍できる社会的システム(インフラ)を作りたいと思い、この会社を創業しました。
潜在的労働力を持つ登録ワーカーは、現在1万名を超えています。ITツールを用いて案件の進捗や品質を管理し、案件ごとに得意なワーカーが集まる仕組みで、オペレーションを構成しています。
目標はアツく、ワクワクするものを選択せよ
—— 起業する前に勤めた会社を離れて起業を決断するまでの怖さはありましたか?
もちろんありました。ただ、私は個人的に被るリスクを想像する力がありませんでした。お金がなくなって暮らせる家がなくなる、というような想像力はなく、むしろ「絶対にいける!」みたいな想像力の方が圧倒的に上回っていました。
とはいえ、事業リスクは考えました。しかし、それを超える「この社会問題は絶対に解決できる」という根拠のない自信が、当時は上回っていたと記憶しています。
――学生時代から挑戦とかワクワクが好きでしたか?
そうだと思います。高校時代も大学時代も全寮制で実家を出て、野球一筋の生活を7年間していました。挑戦したがりな性格はもともとあったと思います。今の自分は学生時代の経験があって形成されていますね。
学生時代7年間一貫していたのが、目標が一個しかなかったということです。高校は甲子園で勝つこと。大学は200人くらいの大規模な野球部で、とにかく一軍に入ることを目標にしていました。
大学では、全国制覇をチームで掲げていましたが、恥ずかしい話、正直個人としては、日々全国制覇にコミットできていなかったと思います。自分には圧倒的に実力がなく、プロレベルの集団で成り上がれる自信もなかったんです。自分の実力を正しく把握した上で、毎日熱量を持って頑張り続けられる目標を立てることが、当時は精一杯でした。(大学3年生の後半には現役を諦め、目標を大きく変えて就活に専念しました。)「自分が今熱くなれる目標は何か」を考え、作り、それに向かって全力疾走する。これは、私の特性だと思っています。
――創業当時の苦労や難しかったことは何ですか?
難しかったことは資金調達です。創業当時の手持ち資金は25万円で、法務局で会社登記したら貯金がほぼなくなりました。(笑)
一年目はなんとか頑張りました。1年経って創業融資というものを知りました。そこで金融機関に、全国の潜在的労働力を持つ人たちが、CRMといったシステムを使いながら「在宅」でコールセンターを行うビジネスプランを持って行きました。
しかしそこで「君はコールセンターで働いた経験がないね」と言われてしまいました。経験がないことと資本金が少ないことなどを理由に創業融資が受けらず、モチベーションがなくなっていきました。ただ、融資が受けられないのであれば、やることはただひたすら、売り上げを上げていく他ありませんでした。ひたすら営業して受注して、障がい者施設や障がいのあるワーカーに、受注した仕事を提供する事業に努めていました。結果、5000万円を作ることができ、創業から2年後に、一度敗北した融資を勝ち取ることができました。
小さくても実績をつくることが成功への近道
—— 起業からここまで途中で折れることがなかったのはなぜですか?
当時は、喜んでくれる人がいることが支えでした。企業側からは金額、期間、クオリティにとても満足してもらえていました。登録ワーカー側からは、新たな仕事に自分のペースで挑戦できること、さらに私たちがクオリティコントロールをすることに、とても喜んでもらえました。毎日が「やりがい」しかなかったですね。
圧倒的な需要にきちんと応えることは「仕事を楽しくする」とも考えます。その衝動からか、気が付けば睡眠時間以外はほぼ働いていました。少し大袈裟なことを言うと、基本的に休むという概念が起業家にあってはならないと思いますね。(笑)新しい事業はそう簡単にうまくいくはずがなく、ちょっとやってうまくいくものなら、誰かが既にやっていると思います。圧倒的な努力が大切です。
――失敗を乗り越えてきて得た教訓はありますか?
想いを伝えられる手段は「実績」のみ。自分が思い描いているビジョンや夢を実現するためには、小さくてもいいので証明できる実績を作り続けることが大切だと思います。
小さくてもいいので、今持っているお金や知識などのリソースの中で、最大限の実績を作る。そうすれば、ビジョンを実現するためのお金や人といった資本が集まると考えます。
(写真:日本財団 就労支援フォーラムNIPPON 2020 分科会登壇時の様子)
問題解決は、圧倒的な失敗経験から生まれる。
—— 最後に若者へのメッセージをお願い致します。
問題解決は、圧倒的な失敗経験から生まれる。困っている人・顧客(ユーザー)の「生の声」を、誰よりも数多く、ある意味しつこいくらい聞くことは、とても重要です。さらに、考えられる解決策は全て実行する。実行したら、ユーザーに評価してもら、検証し、また実行する。当然ですが、ほぼ上手くいかないでしょう。しかし、こうして”誰よりも圧倒的に”積み上げた「失敗」は「学び」となり、結果、社会に喜んでもらえるサービスやプロダクトを生み出すと、私は信じています。
目の前に挑戦したい社会課題や問題があるならば、私は皆さんを心から称賛します。その想いがあれば、必ず社会は歓迎し応援してくれます。次は、社会的課題を解決するこの世界で会いましょう。