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【株式会社bajji 小林 慎和】「世界を席巻するサービスをつくりたい」多くの事業に携わる実業家の原動力とは

2020/08/11

Profile

小林 慎和

株式会社bajji 代表取締役

大学卒業後、野村総合研究所にて9年経営コンサルタントに従事、主に新規事業立ち上げ、買収、海外展開などを担う。その後グリーに転職し海外展開の責任者として従事、グリーシンガポールを立ち上げる。2012年シンガポールにて起業。ジャンルを問わず多くの事業に携わり、これまでに海外で5社創業する(IT2社、飲食2社、医療1社)。2015年にはAsia Entrepreneurに日本人として唯一選ばれる。止まることを知らない小林氏の行動力の秘訣とその原動力を探る。

世界を席巻するサービスをつくりたい

—— 会社員時代、大変だったことは何ですか?

大学ではシステムの効率化を研究していました。研究者になろうと思って大学院に進みましたが、半年ほど通った時点で研究者に向いていないことに気づきました。しかし、就活がうまくいかず研究が思いのほかうまくいっていたためドクターに進むことにしました。博士号を2年で取得し、野村総合研究所に就職しました。そこでは主に経営コンサルタントをしていました。

最初の2,3年は大変でした。これまで研究しかしてこなかったので経営がどんなものなのか、ビジネスがなんなのか、まったく知りませんでした。ですが3年ほど経ったころ、一人でプロジェクトをこなせるようになり、今考えれば若気の至りだなと思いますが、大体世界が分かってきたと感じるようになりました。

そうすると5年目くらいから仕事がつまらなく感じるようになりました。どの仕事にもやりがいがなく、ある種のうつ状態にまで陥りました。そこで転職をするか、起業しようと考えました。

その後GREEへ転職しました。もともと起業するなら世界を席巻するIT企業をつくりたいと考えていました。日本には製造業やケミカル系など様々な分野において世界ナンバー1の企業が多く存在しますが、IT系には任天堂とソニーしかないからです。起業の準備をしていたとき、当時勢いのあったGREEから海外展開を仕切って欲しいというヘッドハンティングの声がかかりました。自分の目標は世界を席巻するブランド・サービスをつくることだったので、まずはGREEのサービスを世界に広めるのも面白そうだと感じました。

転職後、グリーシンガポールを立ち上げました。そしてすべてやり遂げたと思ったタイミングで、シンガポールで起業しました。

0から1を生み出す仕事をしたい

—— 起業するときに大変だったことは何ですか?

当時、ITに限らず飲食や教育、建築や映画などジャンルを問わず32か国の人々が集まるイノベーションイベントを主催していました。参加者一人一人に会いに行ったりスカイプで会議をしたりしてイベントの趣旨を説明しました。いろんな国の人を相手に全て自分ひとりで調整を行いました。

元々、どうなるかわからないことに挑戦していくことが好きなので慣れないことをすることに対する不安やためらいはありませんでした。それに、かなりのお金も費やしていたので引き下がることのできない、やるしかない状況でした。

起業する前までは、モチベーション、プレッシャー、仕事をやらせてもらっていることに対する責任感を感じていました。しかし、起業してからはモチベーションというものを考えたことがありません。仕事をするうえでモチベーショを求めるというのは、ある種甘えた状況にいるということです。起業後は、そのような悠長なことを考える余裕はなくなりました。

海外で起業をしていた頃は、とにかくいろんな分野において0から1をつくることをやりたいと思っていました。世界を席巻するサービスを立ち上げるために、どの国でもやっていける人間になることを目指しました。そのため飲食や不動産などジャンルは問わず、自らが出資者となって行った事業が5つ、サポートメンバーとして携わった事業がさらに10個ほどあります。

0から1を生み出す仕事も大事ですが、1を10にする仕事、10を100にする仕事、100を110にする仕事ももちろん全て大事です。私が昔やっていたコンサルタントの仕事は100を110にする仕事でした。9年間働いてきてそれは習得できていたので、今度は0から1を生み出す仕事をやりたいと思いました。

起業するとき、恐怖心はあった方がいいと思います。何かをやろうとするときに怖さが判断を生みます。また、絶対に諦めない性格であることも大事です、勝つまでやり続ければ勝つことができます。この2つを持ち合わせていることが重要になります。

世界のどこであっても通用する人間になる

—— 世界を相手にしたときの逆境体験はありますか?

世界に出て初めて痛感した自身の原体験は、17歳の夏にドイツに行った時でした。
初めて海外に行きましたが、勉強しているはずの英語が全く話せなかったです。中1~高2で5年間勉強したのにも関わらず、自身の英語のレベルにショックを受けました。そこで初めて、学校の教育をあてにして生きてはいけないと思いました。
大学生の時はバックパックをして、東南アジアの新興国などにも行き世界中を飛び回り旅していました。

17歳での初めての海外、そしてバックパックでの経験を通して、世界のどこであっても通用する人間にならなければ、と強く思いました。そしてそれらの海外での経験が、今の人生観に大きな影響を受けています。

これまで5社くらい海外で会社を作って事業をやってきましたが、一番大変なことは「異文化コミュニケーション」です。日本で当たり前のことが海外では全然違う、これは本当によく起こります。

例えばシンガポールで作った会社が2社ありましたが、両方とも創業して半年以内に中国の企業に訴えられました。ブランドを無断で使っているという難癖でしたが、うちの会社のような出来たばかりのベンチャーでまだ10人もいないような会社を遠く中国から訴えてくるのです。でも絶対に違反を犯していないので、無視しています。動じないことが重要だと思います。

――bajjiはどういう想いで作られましたか。

サラリーマン時代には経験していなかったのですが、起業するといろんな人からアプローチされるようになりました。それまでは世の中にそれほど悪い人がいると思っていませんでしたが、平気で嘘をついて近づいてくる人ばかりでした。騙されたこともありました。その時はかなり落ち込み、人間不信になりました。

それでも、ビジネスの世界では頼れる先生のような存在はいません。自分自身を不甲斐なく思いつつも、なんとか立ち上がって前に進んでいくしかありませんでした。

今行っているbajjiというサービスは、その人と会ったことがあるかどうか、会った回数や頻度を可視化することで本当の人間関係の濃さが見えてくるサービスです。SNS上では会ったこともないような人たちがともだちとして表示されます。そのことが人間関係における問題を生み出していると感じました。

SNSを使う側のリテラシーでいうと、とにかく事実を確認しなくてはいけません。シェアされて回ってきた情報は実はほとんど嘘かもしれない、事実は他にあるかもしれない。ある一方向からだけの情報を鵜呑みにしてはいけません。

――最後に、就活生にアドバイスをお願いします。

常に全力で頑張っている人には必ずチャンスが来ます。チャンスが来てから頑張ろうと思っている人の前にはチャンスは来ません。なぜなら、チャンスをチャンスにできる準備は頑張っている人にしかできないからです。運を感じることができるのは頑張っているからです。ありとあらゆることに努力をしているので、何か来たときに“こうやればうまくいくかもしれない”と考えることができます。何もしていない人は、目の前に大きなチャンスが来ても気づきません。

なんでも素直にすぐやってみる、トライしてみることが大事です。失敗してもいいし上手くいかなくてもいいです。とにかくやることができる人材が求められます。

株式会社bajji

設立 2019年4月
資本金 1億250万円(資本準備金含む)
売上高
従業員数 10名
事業内容 ブロックチェーンを活用したソーシャルネットワーキングサービスの企画、開発、運用及び提供、コワーキングスペースの運営
URL https://www.corp.bajji.life/ https://apps.apple.com/jp/app/id1514725915?shortlink=de56e021&pid=prtimes&c=prtimes
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