広告ではなくラブレターを届ける
—— 今されている事業についてお話下さい。
弊社は、アジアを中心としたデジタルマーケティングをしている会社です。特に日本と台湾を中心に展開しています。主にネイティブアド事業、台湾のメディア事業、コミュニケーション型広告事業の3つを展開しています。
ネイティブアド事業では、人にストーリーを届ける という事を大切にお客様の広告をただ出すだけではなくストーリーを弊社の方で記事の形で掲載させていただいています。会社として、お客様の広告というよりは届けたい人に対するラブレターだという考え方を持っています。
台湾の海外事業でも同様の想いのもと、体験型美容メディアを展開しています。コミュニケーション型広告事業では、LINEを使って広告主様の既存のお客様に対してより密なコミュニケーションを取り、ファンになっていただく取り組みをしています。
「お客様が本当に届けたいことをできる会社になる」
—— 現在の事業に至る経緯はなんだったのでしょうか?
この事業を展開しようと思った経緯は、新卒でお世話になった会社がもとにあります。新卒でインターネット広告を経験していたのですが、当時はスマートフォンに広告が変わっていく境目でした。絶対にうまくいかないと言われていたスマートフォンの広告がどんどん伸びていきました。
それにすごく感動しました。これから本当に時代が変わるんだなっていうことを実感しました。自分がスマートフォン広告を広げていく中で、もっと詳しくなろうと思ってスマートフォン広告について勉強しました。しかし、調べていくと、市場は成長しているしお客様も増えているのですが、実はユーザーにはスマートフォン広告をうざいと思われていました。
例えば、ポータルサイトで「スマホ広告 」という検索にスペースを入れると上位に”消し方””うざい””ブロック”という候補が表示される状態でした。
本来、広告は”届けたい人にラブレターを届ける ”仕事だと思っています。しかし、スマートフォン広告の置かれている状況は、誰彼かまわずラブレターを出している状態となっていました。そういう現実を見たときに、とても悲しく感じました。僕らがやることで、代理店が嫌われることは構いませんが、広告主様が嫌われてしまいます。ユーザーは誰が広告を出しているか知らないのでその広告を出している方が悪いと思うからですね。
そこを変えていきたくて、本来お客様が本当は届けたい人に届けることをできる会社になろうと思いました。こういった経緯で、ストーリーを届ける広告が生まれました。そこから、海外に進出したいというお客様に合わせて台湾に進出したり、ユーザーとより深いコミュニケーションをとりたいというお客様の思いからコミュニケーション型の事業が生まれたりしていきました。
幼少期から起業後まで逆境の数々
—— これまでの逆境経験についてお聞かせ下さい。
1番最初の逆境は、7歳で東京に引っ越して来た時から始まりました。もともと出身は兵庫県の尼崎で、7歳から親の事情で東京に出てきました。僕、牛乳が飲めなかったことと、関西弁ということもあって転入早々いじめられました。それが1番最初の逆境でした。
そして、小学校5年生のときに授業でしていたソフトボールをきっかけに野球を始めました。そこから野球に夢中になり、プロになろうと決めました。そして、中学校からクラブチームに入りました。中学生からプロ野球選手になるんだと思っていたので、そこから本当に野球に関わること以外はやらないと決めて、中学校1年生から3年生までは一切勉強しませんでした。
高校も宮崎で寮に入って野球留学しました。当時はまだ、3年生神様、2年生平民、1年生奴隷という時代でした。自分はプロになるんだというのを支えでやっていたのですが、2年生の夏に腰の怪我をして、プロになるのが難しくなりました。
そのときに、ライブドアの堀江さんがプロ野球チームを買収するというニュースを見て、ITベンチャーの社長ってプロ野球チームが買えるんだと思って、自分もITベンチャーの社長になろうと決めました。
そこで初めて勉強を始めました。でも、僕は高校のテストで下から3番目でした。だから、まわりはこいつ何言ってんだって感じでした。「お前なら大学絶対いけるよ」みたいなことは誰も言ってくれませんでした。そんな状態のなかで勉強するというのは、すごくいい経験でした。
そして、勉強して大学に行きました。でも、高校時代の反動もあって、サークルに入ってはじけちゃいました。バイトかサークルかみたいな生活でした。そういう生活を大学2年生までやっていました。
しかし、3年生の時にリーマンショックが起きました。父に学費を出してもらっていたのですが、父の会社が傾いてしまい、自分で学費を稼ぐか、中退して社会に出るかを迫られました。結果、大学が好きだったので自分で学費を稼ぐ道を選びました。
大学時代、NTTの光回線を1件売ると1万円という仕事を始めて、マンションから一軒家までひたすら飛び込み営業をしていました。その後、いくつかベンチャー企業を経験し、法人営業、医療関係への提案など様々なことを学びました。その上で、前職の会社に入ると決めて、2011年に新卒として入社しました。
その中で、会社の規模が5人から数十人になる経験や、リーダーの経験なんかもさせてもらいました。冒頭に言った事業のもとになった事業も、実は最初にこの会社で提案しました。
でも、提案したら社長から「それで独立したらいい」と言われたので、今も一緒にやっている大学時代の友達の井坂と2人で独立して2013年の10月に会社を設立しました。
まず身銭を稼ぐために、広告代理店からスタートしました。色々あったんですが、会社作って1年後の4月には、合計9人になりました。でも、当時とあるメガベンチャーの社長の著書を読んで大変感銘を受けたこともあり、その本の真似事をしていました。1週間で、110時間働くことをメンバーに言いました。
そしたら、当然ですけど、みんなきついと言ってやめていきました。毎月1人ずつ辞めていって、いきなり9人から2人に戻りました。それが会社作って最初の逆境でした。でも、2人とも根はポジティブなので、信じてくれているお客様もいて、その売上もとても大きくなり、そこからまた人が増えて、2年で15人くらいになりました。
ただ、僕自身が、社員とコミュニケーションとるのが怖くなっていました。9人いて7人辞めた時に、原因を井坂に聞いたら、全部お前のせいだっていわれました。僕が話さなければ人はやめないんだと思い、社員が増えても本当に喋らなかったです。
そうしたら、2016年の9月くらいから、売り上げが落ち始めました。なぜコンサルもいれて人や売れる商品も増えているのに、売り上げが伸びないんだろうなと思っていました。
そして、2017年1月の研修で、この会社の酷い真実を扱おうとなりました。それで出たのが、社長がみんなと向き合ってないということでした。そこで、みんなの前でコンサルタントに怒られ、一人ひとり懺悔する経験をしました。
それでも、2017年の4月にあと3カ月で会社が倒産するかもしれないという危機を迎えました。そのとき、もういい機会だしここで1人でも多く辞めてもらおうと思い、社員それぞれに思っていることも話しました。苦言を呈したメンバーも少なくありません。
それで僕は逆上されると思っていました。けれど実際は「社長、そう思っていたのはわかっていました。逆にやっと正直に話してくれたなっていう気持ちです。」と言われました。お互い本音で話して、しまいには抱き合いながら泣いていました。
結果的にほとんどのメンバーは残って、そのメンバーでやれることをやりました。そうすると、10月くらいには過去最高売上を出し、200%成長しました。
人生の出来事で人生は決まらない。大事なのはそれをどう受け取るか。
—— 最後に学生たちに向けてメッセージをお願いします。
失敗は自分の人生を豊かにするために必要なことです。失敗があるから成功を知ります。なので、失敗することは実は必要なことです。失敗をしたらいけないなんて思わないで欲しいし、実は成功よりも失敗の方が教えてくれることが多いのです。
だから、自分自身が何か失敗したときに誤魔化したり言い訳したり、向き合うということから逃げるという選択せず、ぜひ、失敗はいけないことだと思わないで欲しいです。
社員によく伝えることは、人生の出来事で人生は決まらないということです。大事なのはそれをどう受けとるかです。どう受け取ったかで、自分の人生って決まると思います。自分が頑張るエネルギーに受け取り方を変えることで、人は豊かになっていくと思っています。
なので、失敗を恐れず失敗することは普通で当たり前のこと、成功のための道の途中にあるのだと思って乗り越えて欲しいと思います。