最初の挫折〜友人と方向性の違いで喧嘩別れ〜
—— 大学卒業と同時に友人の方と起業し、その後方向性の違いから独立されたとお伺いしました。どういう方向性の違いがありましたか?
学生の時に起業したいっていう人って少ないですよね。そういう同じ思いを持った人たちと集まって、一緒にアルバイトをしていくうちに次第に仲の良い友達になって行きました。彼らとはバンド仲間のような関係でした。しかしいざそのような関係性で、毎日会社を存続させるとなると、少し違和感を覚えました。社会人一年目や学生が集まり、一年後には10人くらいの会社になりましたが、それで会社が成立するかというと難しく、結構辛かったです。
みんな仕事に対して本気でしたが、仕事を丁寧に納めるところで問題が起き、結果的に自分は毎月400時間働き続けていました。それだけならまだいいのですが、次第に起業仲間が会社のお金を勝手に使い始め、会社に違和感を感じるようになりました。その時はその仲間に対する怒りではなく、自分自身が「挫折したな」と思いました。やはり価値観と方向性が合わないと、会社を経営するのは難しいです。
――その後、起業仲間の人たちとは今も連絡を取られていますか?
まず、学生時代は5人組で仲良くしていました。その5人の中で常識のない3人が起業します。そして常識のある2人が就職します。
起業した3人は一年間やってもうまくいかなくなって、喧嘩別れに近いですね。生活もありますし、借金もありましたから。でも当時一緒に起業して、方向性が合わなくて分裂してしまったけれど、何もわからない時から一緒に起業して会社経営に奮闘したという事実はあるんですよね。今は時々連絡するような、普通に友達関係でもありますね。「あの時一緒に頑張ったよな」って話をします。
就職した2人も学生時代本当に大変だったんですよ。授業が終わったら学生エンジニアとして会社に行って徹夜で作業し、次の日また授業に行ってみたいな生活で。この2人もまた戦友のような感じです。そのうち一人はアメリカに留学し、マイクロソフトに入社、4年前bravesoftにきて、今も一緒にやっています。
二度目の挫折〜社員との価値観の違い〜
—— 一度目の起業で挫折し新たにbravesoftを立ち上げた後に、辛い経験はありましたか?
bravesoftを始めて、1年くらいたった後に、また2回目の挫折を味わうことになりました。当時は僕が社長で、営業もして、みんなに開発も教えながら、ガンガン仕事をしていました。出た利益は再投資で会社を拡大して、もうとにかく上を目指すんだと。ただ生活できればいいというよりはそれ以上の成長を求めていましたし、より良いもの作りたいと思っていました。
しかし当時の仕事仲間は、「他の会社へ就職するよりは、ワイワイやっている会社がいいな。」という気持ちで、うちで仕事をしていたのだと思います。緩い雰囲気でしたので、途中で遅れてくる人もいました。酷かったときは、僕は土日もなく仕事をしているけど、みんなはパチンコに行っていた時もありました。
ある時、このままだめだと思い、しっかりした会社を作るんだと言ってちょっと彼らに怒ったんですよね。そしたら翌日からみんな来なくなりました。
そしてある日突然、仲間から僕が訴えられる事態になりました。(笑)
彼らとしては、ちょっと驚かして僕の目を覚ましたかったのかもしれませんが、僕としては彼らの家まで行ってもでてくれないし、自分ひとりで何とかするしか無いと奮起して1人で生きていく道を選びました。それが彼らとしてはクビにされたと思ってしまったのかもしれないですね。
今はお互い「あの時はごめん」と言い合える関係になりました。その後、彼らは良い会社に就職したようで、良い人生を送っているみたいです。
――若いうちにそういった挑戦をした方がいいですか?
そうですね。若いときはいくらでも失敗が効きます。
僕も23歳で会社作った時も、最初はお金を失いました。2社目を立ち上げるときも家族が支援してくれました。起業すると100万円くらい1ヶ月であっという間に無くなってしまうんです。お金は無駄に使えないので、知り合いに不動産屋を紹介してもらって、「お金は40万円くらいしかないですけど会社やりたいんです!」って言ったら「そんなんじゃ物件借りられない。」と断られました。けれどその後にその社長が、「俺の嫁が事務所で社長やっているからそこ間借りする?」と言ってくれました。そこから二度目の挑戦が始まりました。
きっとそれって、23歳が言うからいいのだと思うんですよね。これが今の僕、38歳のおじさんが言っていたらイラっとするじゃないですか(笑)。
あと、若い時は1日1日の吸収力も半端ないです。僕は基本的には24歳くらいまでしかプログラミングをガッツリやっていませんが、その時に一通りの技術を勉強することができました。そのおかげで創業して15年経ちましたが、今でも技術的な話にもついていくことができています。
――創業の苦しさを二回も味わったにも関わらず、その気合いはどこから湧いてくるのですか?
学生時代はすごくつまんなかったですからね。中学、高校、大学と受験せずに進んだので、ただただ進学して、つまんなくて。部活に熱中するのもなかったです。このままつまんない人生を送るのはやばいと思って、そんな人生生きるよりはいくらでも頑張ろうって思いました。
学生の頃は今と性格が違って大人しかったですね。授業もサボって図書館で暗い本読んでいるとか。「つまんない」ってどっかで思っていました。
起業家でもそういう人多いんですよね。中田さんの「YouTube大学」にあるように、「臆病者が勇気を出した時が最強」みたいな。性格が急に変わるというか、アルバイトや人との関わりを通して、少しずつ自信がついてきたという感じですね。
エンジニアは学生時代からエンジニアであれ
—— 様々な苦労を経て、現在はアプリ実績国内トップレベルの会社に。何故ヒットを立て続けに生み出すことができたと考えますか?
一番大きいのは流行る前に一番先にやったということですかね。みんなまだ様子を見ていたし、日本でiPhoneが出たのが2008年の7月。その2ヶ月後にリーマンショックになるんですよ。今の状況と同じようなことが起きて、周りの会社はそんな時に新しいことをする余裕がない状況でした。
けれど、そもそも自分の会社は毎年リーマンショック以上のピンチが来ていて、そのピンチが続いているだけだったので、それほど影響はなかったです。「面白いから」、「絶対これが世の中を変える」と思って誰もやらない時期からやりました。
――これまでの経験から、社会で成功するための教訓は何ですか?
僕は最近、「つよつよチャンネル」と言う現役エンジニアからエンジニア志望の学生などに向けてエンジニア情報を発信するYouTube番組を始めて、そこで活躍されているエンジニアの方々をゲストにお呼びしているんです。そのゲストは起業した方や有名になった方々を呼んでいるのですが、その全員に共通していることがあります。
それは、「学生時代にエンジニアだったか」ということ。
卒業してから本気でやるのはもう遅いです。エンジニアになりたかったら学生のうちにエンジニアのバイトをする、デザイナーだったらデザイナーのバイトをする。人より早く始めると早く実績がつき、仕事が来ます。学生時代に始めるのが圧倒的に社会の先頭に立つコツだなと思いますね。
――最後に、学生へのメッセージをお願いします。
とあるアンケートによると、高校生のなりたい職業ランキングの1位がエンジニア、2位が社長、3位がYouTuberという結果があります。僕はエンジニアで、社長で、YouTuberでもあるので、ランキング上位の職業3つともしていますが、それぞれを楽しんでやっています。
学生の時を思い出すと相当悩みもあったし、不安もあったし、先の見えない時期もありました。さらに皆さんは、今、コロナで就活も不安定な状況にあるので非常に大変だと思います。
ですが、社会に出ると大半が転職するので、就活で上手くいかないことが続いたとしても、「どっちにしたって転職するんだ」くらいの気持ちでいいと思います。今目の前のことをやり切って、後悔のないよう色々なことに動いて欲しいなと思います。
それで失敗しても新しい会社や小さい会社など他の道も沢山あるので、あまり思いつめずに、今していることに集中して頑張ってもらえたらなと思います。