農業の担い手を増やすことが、世界に食料をもたらす
—— 農業に興味を持たれたきっかけをお伺いしたいです。
僕は福井県で、サラリーマンの子どもとして生まれたのですけれど、周りの友達の親は農家か漁師だったので僕はマイノリティでしたね。都会であれば、農家や漁師の方がマイノリティですが、こっちでは逆でした。
みんなと仲良くなりたかったので、家庭菜園をして少しでもその分野に飛び込もうとしていました。それが、地元の友達と仲良くなる秘訣だと思っていました。そのまま、家庭菜園を親と楽しみながら育ちました。
その中で、高校生の時に、学校に行く途中に空いている農地を見つけ、自分は裏庭で家庭菜園を小さくやっているのに、何故多くの人は自分の持っている農地を余らせているのだろうという風に感じ、空いているのだったら自分で農業をしよう、そう思ったのがきっかけです。
――日本の農業を明るくするには、生産性を上げるよりも担い手を増やす方が大事といった考え方になったきっかけをお伺いしてもよろしいですか?
将来、農業をやりたいと思っていたので、京都大学の農学部に入学しました。ただ、京都大学の農学部に入ってから違和感に思うことが2つあったのです。
1つが、農学部って農業をするために入ってきた人が全然いないのですよね。医学部落ちたから農学部入ってきた、アメフトやりたいから入ってきた、官僚になりたくて入ってきた。そういう人が多かったです。
だから、農業の話をしたいのに、そういう友達がいない状況でした。
もう1つが、大学の研究室で大豆の研究をしていたのですけれども、大学の先生が僕に、大学の研究というのは、食料危機を救うものであって、いかに1人あたりの生産性を増やすのかが、至上命題だと言っていました。
言っていることは分かります。確かに世界の人口の10%、約8億人が飢餓で苦しんでいる状況なので、食糧危機を救わなければいけないと思いました。これから100億人になる人口に対して、もっとたくさん作物を作らないといけません。
生産性×人数が食料の総量だと思うのですが、大学では人数を増やそうという考え方があまりなくて、世界の経済が進めば進むほど、農業に従事する人たちは減り、テクノロジーが進化することで生産性が上がる。だから、食料の量は増えていくのだという考えでした。
しかし、農業をする人が減るという前提で計算式が成り立っているので、そこで農業者を増やす考え方にはならないのかなと思いましたね。僕は小さい頃から農業をやりたいと思っていたので、農業者を増やす側になっても世界を救えるのだろうなと思いました。そのことがきっかけで、研究者側から実践者側に回ろうと決めました。
目的がはっきりしていれば、諦めない力となる
—— 農業という歴史ある分野に、25歳という若さで飛び込むのは大変でしたか?
農業は閉鎖された産業とも言われていて、僕みたいに25歳で農業をやろうとしても、大体は若すぎて無理だと言われます。また、お金を稼ぐのに時間がかかるので、貯金がないなら無理だ、力がなさそうだから無理だとも言われました。
大学を卒業するまでは、農業をするのは素晴らしい事だと言われていたのに、実際やろうとすると、「やめときなさい、君には無理だ。」と言われます。
これは、社会の良くない点だと思っていて、子供の頃にサッカー選手になりたいと言うと、凄いなと言われるのに、高校や大学でサッカー選手になりたいと言うと、「無理だ。」なんて言われますよね。
いろんな事情で夢が、社会に折られていくのですよ。この社会は間違っていると思うので、それを証明するために自分が必死で農業の世界を切り開こうとするのです。
――若いから無理だと言われ続けると、やめたいと思わなかったのですか?
何のために自分がやっているのかがはっきいりしていたので、やめたいと思ったことは一度もないですね。自分の気持ちや自分がやりたいことを周りに対して証明するためにやっています。途中でやめたら自分が間違っていた事になってしまいますよね。
ただ、明らかに引き返せなくなったタイミングがありますね。それは、人からお金を借りた時です。
僕の場合は、銀行から融資を受けて、他の人から投資を受けたのですが、お金に対しての責任が発生しますね。途中でやめたら、一生返せないわけではないですけど、しばらくお金を返す日々が続いてしまいます。そうしたら、自分がやってきたことに断念した罪滅ぼしのような形になってしまいますので。
「みんなのおかげ、自分のせい」
—— 事業について詳しくお伺いしてもよろしいですか?
一つ目の事業は、都市部の休んでいる農地を使って、都市部に住んでいる人たちに向けて農業体験をする事業を全国で120箇所行っています。
二つ目は、農業を志す人たちのための農業学校、アグリイノベーション大学校というものをしています。卒業後も支援するシステムになっており、今では日本で一番大きい農業大学校になっています。卒業生が1800人出ていて、日本全国や海外にも卒業生がいますね。
三つ目が、卒業生の人たちが作った作物を買ってあげて、僕がスーパーや飲食店に「〇〇さんからの野菜が来ているから買いませんか?」と交渉する流通業をやっています。ラクーザという名前のサービスです。これによって、生徒が卒業してからも困らないようにしています。
三つ目で販売先を確保してあげたので、四つ目は、農地を探すための検索サイトをやっています。
さらに、何を植えたらいいのかわからない人のために、株式会社マイファームから特定の野菜の契約栽培を受けてあげるというものをやっています。例えば、サツマイモを作ってくれればいくらあげますよ、というシステムですね。
アグリイノベーション大学校が評価される一つのポイントが、農業を始めてからの離脱率が低いことです。農業を始めてからやめてしまう人が多いのですが、アグリイノベーション大学校では、農業をやめないっていうところを強みにしています。それは、僕たちが手厚くサポートするからです。
――「みんなのおかげ、自分のせい」という言葉を大切にされていますが、そのきっかけはありますか?
僕が人生で一番ピンチだったのは東日本大震災の時です。津波の影響により、東北地方の農地が流されたのですが、その農地を何とか助けようと思って、復興支援に入りました。
一方で、原発事故によって放射性物質が飛んでくることで、我が社の農業体験の場所や農業学校にほとんどお客さんがいなくなったのですよ。今で言う、コロナでインバウンドの人たちが来ないみたいなのと一緒ですよね。
こういう社会的事象があって、経営が厳しくなっている時にボランティアに手伝いに行ってしまって、僕にとってはいいことだと思っていたのですが、まだ働いてくれているみんなや、まだ残ってくれているお客さんにとっては最悪のことでしたね。
責任者が、その場所を離れて、やりたいことをやっているという風に見て取られたので、クーデターが起こってしまって、そのクーデターによって僕は代表を退任する形となりました。
それで一旦代表を退任して、1年程東北でボランティアの活動を続けていたのですが、この時に僕を救ってくれた人がいました。今はもう亡くなられてしまったのですが、リクルートの創業者である江副さんが、当時僕を応援してくださっていました。
その時に、「みんなのおかげ、自分のせい」という言葉をよく覚えておけと言ってくださいました。常に、自分の判断は、みんなのおかげだということを忘れるなと教えられ、自分のせいという事は忘れていなかったのですが、みんなのおかげということを忘れていたので、江副さんに反省しろと言われました。
いよいよこのマイファームという会社が潰れそうだという時に、戻ってきて立て直すのですが、今までだと早くどんどんやりたいから一人で進めてしまっていたところを、遠くにゴールを見据えて、みんなで歩んでいこうとしました。
「みんなのおかげ、自分のせい」このポリシーでやっていこうということで、やり直した会社が今の株式会社マイファームという会社です。
一人では生きていけない、感謝の気持ちを忘れるな
—— 最後に、学生へのメッセージがありましたらお願いいたします。
「みんなのおかげ、自分のせい」っていうのは若い人たちにもわかりやすいかなと思っていますね。結局自分のやること全て、自分一人でやっている事はほとんどなくて、誰かに助けられたりしているのですよ。
これが、社会で生きるという事だと思います。これを、誰かのせいにしていると、自分の成長にも繋がらないですし、物事が解決しなくなってしまうので、自分のせいという風に考えるべきですね。
また、嬉しい時は、自分がやったのだと考えずに、みんながやってくれたのだと考えるようにすれば、感謝の気持ちが湧いてきて、より人生観としてもよくなるのではないかと思います。
――もし今、西辻様が学生の立場だとしたら、このコロナの状況はどうしますか??
もし僕が学生だったとしたら、時代が変わるということを意識して、まずはいっぱい情報を集めますね。いっぱい情報を集めた上で、誰かの情報に流されるのではなくて、これが正しいから、こういう風に生きていこうって見定めますね。嘘の情報なども流れてしまっていますから、気をつけることは大切です。