いじめから逃げずに向き合い続けた中学時代
—— 中学時代、いじめに遭っていたけれど学校に通い続けたとお伺いしました。
いじめが辛くて不登校になる生徒がたくさんいるなかで、なぜ学校に通い続けられたのでしょうか。
学校に行っていじめられるのは物理的な行為だと思っています。自分自身のなかには客観的な自分がいる、だから物理的な状況から逃れられたとしても、自分の視点からは逃れられません。つまり、自分は常に自分を見ているのです。そう考えたときに、「何か原因があって結果としてのいじめがある」と自分の中で整理がつきました。
僕自身にも原因があることが分かったのです。
一方で、いじめている側の人の構図も冷静に見ることができるようになりました。いじめたくていじめている人ももちろんいるけれど、いじめたくはないけどいじめざるを得ない人もいることに気づいたのです。同じようにいじめないと次は自分がやられてしまうという状況に置かれている人たちでした。
もちろん全くダメージが無かった訳ではなく、夜はいじめによるストレスで胃が痛くて眠れない日もありました。しかし、自分のなかにある原因とそれを取り巻く周囲の構図が透けて見えた瞬間から、学校へ「行かない」という選択の方が嫌だと思い始めたのです。「いじめというものと正面から向き合いたい」という感情が強くなりました。
――高校卒業後、大学に進学することが当たり前だと思われている時代に、なぜ大学へ進学しない道を選んだのでしょうか。
大学へ進学しなかったのは、勉強する気がないのに行っても、全く意味をなさないと思ったからです。勉強する気がある人や勉強したいことがある人は目的を持っているので、大学に通うべきだと思います。しかし、勉強する気がない僕が大学へ行くのは意味があるように思えませんでした。それに、「自分が思った通りに生きろ。」と言ってくれる親がいました。その言葉を真に受けて進学せずに自分が好きなことで生きていきたいと思ったのです。
その頃は、好きだったパチンコで生計を立てようと考えていました。実際、稼げていて十分に生計が立っていたのです。パチンコをしているうちに、もっと成果を出すために分析を始めました。どうすれば稼げるのか、なぜ煽られるような感情が生まれるのか、そういうことを突き止めていくことが好きでした。
そして、成果が出て更に稼げるようになってから新しく気づいたことがありました。パチンコをやり続けて成果が出ていても、自己肯定感が満たされることはないということです。好きなことで生きていくなかで、自身が満たされることを追求することがとても重要であると感じたのです。
このときにはじめて、満足できる要素はお金だけではないという自分の価値観に気づき、人の役に立てることがしたいと思いました。稼げば稼ぐほど虚しい思いが強くなっていくパチンコを辞めて、これまでの自分とは決別し社会で挑戦することを決めました。これが社会に出たきっかけです。
物事は見方次第。原因は必ず自分にある
—— 社会に出てから起業するまでも様々な経験をされたそうですね。
社会に出て商社に就職してからは、ハードでした。毎日夜の12時頃まで仕事をし、更にそこから友人と合流して深夜の3時まで遊び、家に帰って4時間だけ寝てまた出社するというのが日課になっていて体力的にもきつかったはずですが、そのような時間的な厳しさに対しては特に「ハードだ」と感じていませんでした。一方で社会に出て「自分が世の中について何も知らなかった、という現実を突きつけられたこと」が当時の私にとってハードでした。
当時の私は社会に出るまでパチンコで生計を立てているような生活を送っていたので、常識的な部分は欠如しており、本当に何も社会のことを知らない人でした。その時期はとにかく、役に立ちたい気持ちだけが先行していて、その割になんの役にも立たないことがとにかく辛かったです。
次に働いた2社目では1社目を経てできるようになったことも増えていたので、新規事業を任せてもらえて色々抜擢してもらう機会も多かったです。外的な部分での辛さはなく、どちらかというと、自己と向き合ったときの理想とのギャップにさいなまれている状態でした。
実は、1社目、2社目、3社目でも鬱になっていました。3社目のときはずっとトップセールスとして成果を残していたのですが、「1番じゃないといけない」というプレッシャーを自分で背負ってしまっていました。周りは自分を追い詰めている訳ではないのに、1番じゃないと自分はダメになるのではないか」と思うようになっていたのです。
そして、このときに気づきました。おおよその物事は自分が巻き起こしていることであり、周りに原因はない。いじめられていたときと同じ。因果応報であり、原因は常に自分にあるということです。描いている理想を外的なものに求めてしまうと、どんどん自分が縛られてしまいます。結局、物事をどう見るのか、どう感じるのか、どう捉えるのか、その人の見方次第と深く理解しました。
挑戦し続ける人生を選ぶ
—— 2004年に起業を決断した理由は何でしょうか。
自分の気持ちに正直になった結果、起業する決意をしました。当時、家族や仕事、待遇など総合的に外的環境は物凄くよかったですが、その状態を危険だと思う自分がいました。その先の自分を想像したとき、保身に走る自分が想像できたのです。
起業する選択をした理由の根底にあるのは、「死ぬまで挑戦し続けたい」という人生のモットーです。“挑戦したい自分”と“守りたい自分”を天秤にかけた時に、挑戦したい自分が勝ったのです。つまり、自分の人生である以上、心からやりたいことに身を投じることこそが重要なんだと思いました。それが健やかに生きることだと思うのです。頭を使って、どうすればいいのか考えているとき、難しいなと苦戦しているときが充実して心が満たされます。何か目的に向けて走っている状態、つまり希望の中にいる状態が最高だと感じるのです。希望という状態の中に常に身を置けていたら、楽しく生きられるでしょう。
人生は人気投票|学生へのメッセージ
—— 最後に、学生へのメッセージをお願いします。
伝えたいことは2つあります。
1つ目は、「やりたいことがあるなら、やりなさい」ということです。まず人生というのは人気投票(相対評価)が主です。そしてそれは誰も逃れられない普遍的な原理です。その人のルックス、知性、内面、行動力、その他様々な要素に相対的に何らかの差があって、社会は営まれています。
その世界から逃れるために大事なことは、絶対評価に軸を置くことです。つまり、相対の真逆をいくわけです。
もしも、今誰でも入れるような大学にあなたがいて、そのなかで他の人と違う人生を歩みたいと考えているのなら、まずは思ったことをすぐに実行してください。そうしないと人気投票(相対評価)から抜けることはできません。頭も良くなくて、行動力もない人を誰が選ぶでしょうか?新しいことに挑戦するのか、勉学に励むのか、人より何かを頑張るのか、これらはつまり、あなた自身がやると決めたその瞬間からできることです。まず、望むことがあるのなら、今すぐやればいいのではと思います。
そして2つ目に伝えたいのは、「人生は常に原因と結果である」ことです。今何かの結果を受けているとするならば、そこには必ず原因があります。常に原因と結果は表裏一体です。今この瞬間にあなたが置かれている状況も、あなた自身が過去に何かの行動(行動を起こさないという判断も)を起こしたことに対する1つの結果です。出会いも偶然なんかではなく、すべて原因がもたらした必然的な結果です。
つまり、結果を生み出すためには行動が必要ということです。必ず行動が何かを変えます。今の時代、YouTubeやブログなど、自ら発信できるツールは多様化しており、昔よりもチャンスを掴みやすい環境です。
望む世界があるのならぜひ何度もチャレンジしてみてください。