経理も社内営業だ。会計人としての原点
—— 経理の仕事を始めたきっかけは、何だったのでしょうか。
大学卒業後に入社した鉄鋼商社で、希望部署とは異なる経理部に配属されたことがきっかけです。当初は、希望していなかった部署だったこともあり、経理はつまらない仕事という考えを持っていました。2年目で振替伝票を承認する仕事を任されましたが、その内容が複雑で一目で理解することができず、印鑑を持ったまま固まっていると、当時の経理課長から営業に聞きに行くようにとアドバイスを受けました。
そこから毎月400枚程の伝票を持って営業部へ行き、ひとつひとつヒアリングしてまわりました。その当時の経理の仕事は事後処理が当たり前だったので、わざわざ営業にヒアリングに行く経理はいませんでした。営業部の方々とコミュニケーションを取っていく中で、逆に、営業が経理に相談しに来るようになりました。相互信頼が生まれ、経理から営業に「月次締切の前倒し」などの頼み事も円滑に伝わるようになり、より働きやすい環境へと変わっていきました。
「仕訳の裏には生きたドラマがあるんだ」「経理も社内営業なんだ」ということを心に刻みました。これが私の会計人としての原点です。
会計人がもっと評価される世の中に
—— 経営コンサルティングを変えようと考えたきっかけは何だったのでしょうか。
以前の鉄鋼商社に勤務していた時から感じていましたが、どこにいても経理は軽視され、重視されてたのは営業でした。また、監査法人時代も会計士はクライアントから軽視されていました。「会計人がもっと評価される世の中になってほしい」と強く感じていました。
会計人は作業に忙殺されるのではなく、経営判断に踏み込んで社長の右腕になっていくべきと思っていました。その手段として、会計人も経営に深く携わるようにしていく経営コンサルティングが必要だと考えました。ところが、監査をしているクライアントが多額のお金を払って経営コンサルティングを受けている姿を横で見ていたのですが、コンサルティングが終わった後に「ほとんど意味がなかった」という話を聞くことが多かったのです。
そこで、経営コンサルティングには「Before・Afterの変化を明確にするシステム化」と「現場の方が共感し、新しい意識で業務を行ってゆく教育」が非常に重要だと考えました。当時働いていた監査法人は規模が小さく、コンサル業務を行っていなかったため、中学時代の友人の会社に協力を仰ぎ、監査まわりのコンサルティングをするためのシステム開発を行いました。また、開示業務と予算業務の書籍を清文社から発刊しました。
繰り返し訪れる倒産の危機、「運」と「メンバー」に助けられた
—— システムの開発や起業の際に苦労されたことはなんですか。
はじめに行ったのが2000年にリリースした決算報告エクスプレスの開発でした。決算報告エクスプレスは、経理や監査する会計士が忙殺されていた法定開示書類の転記やチェックを自動化するシステム(特許取得)です。完成後、上場企業数社への販売したのですが、その直後に大規模な法改正が行われ、一度完成したプログラムの大幅変更が余儀なくされました。これまで友人と共同で行ってきたプロジェクトでしたが、この事態を解決すべく会社を起こすことになりました。それがスリー・シー・コンサルティングのスタートでした。
起業はしたものの、借入した開発資金はすぐになくなり、資金繰りに追われました。銀行はなかなかお金を貸してくれず、ベンチャーキャピタルを集めてプレゼンテーションを行いました。ユーザー様が「このシステムは素晴らしい」とアピールしてくれたこともあり、資金を集めることができました。その後も資金繰りの戦いを繰り返し、度重なる法改正に対応してきました。
――これまでで一番きつかったことは何ですか。
毎週開かれるベンチャーキャピタルの会議では、「いつになったら黒字化になるのか」批判され続けていました。そこで、新しく入社した優秀な技術者を中心に新たな技術による開発プロジェクトを始めました。セミナーを開催し、新しいソフトの宣伝を大々的に行いました。販売を始めようかというタイミングで、その優秀な技術者が病気で倒れました。
実は、新製品ソフト開発が全く完成していなかったことが判明しました。「そんなことがあるのか」と呆然としました。
一社一社取引先へ訪問し、頭を下げてまわりました。解散していた旧プロジェクトのメンバーに頭を下げて、旧システムで法令改正対応の開発を行いました。しかし、資金は残っておらず、ベンチャーキャピタルも出資できないと言われ、ほぼ倒産寸前でした。その時たまたま、ある銀行から決算報告エクスプレスに関心を持っている上場企業を紹介され、15分の社長面談で出資が決まり、間一髪で倒産を免れました。
運よく出資先が見つかったことや、古いプロジェクトのメンバーが一度プロジェクトを止めたにも関わらず状況を理解してくれ、開発に尽力してくれたからこそ乗り越えることができたと思います。
「奥様手作りの花」
愚直に生き続けること
—— 最後に、学生の皆さんへのアドバイスやメッセージをお願いします。
1つ目は、「明日が必ずあるわけではない、他人にどう思われるかではなく、悔いの無い生き方をした方がいい」ということです。
鉄鋼商社時代、後輩と4日間の北アルプス縦走へ行ったのですが、ちょっとしたきっかけから崖下に滑落しかけました。なんとか助かり、九死に一生を得ました。そのような経験を通して、「人間は神様に生かされているにすぎないんだ。明日が必ずあるわけではない、他人にどう思われるかではなく、悔いの無い生き方をすべきだ」と強く思うようになりました。その経験がその後の会社を辞めて会計士試験を受けるチャレンジや会社を起業するチャレンジの原動力になったと思います。ですので、学生の方々にも悔いのない生き方をしていただきたいと思います。
2つ目は、学生で起業を考えている方は、特許を取っておくと良いということです。新しいアイディアを大企業にとられることや競争相手企業がマネすることは非常によくあることです。それを防ぐためにも、特許をとっておくということは重要です。私がベンチャーキャピタルから資金を集めるときも、特許があるということが評価されたことは間違いありません。信用を得るためにも、また自分自身のアイディア・考え方の優位性を表現するためにも特許を取得するべきです。
3つ目は、会計人は予算構築支援を通じて真の経営コンサルティングをして社長の右腕になるべきということです。
社長ほど事業を理解している人はいません。でも、社長が理解できていない点があります。「どうしたら社員が動いてくれるか」という点です。この手段が管理会計の予算制度の構築です。すなわち、「Plan(計画=予算)」→「Ⅾo(実行):実績会計」→「Çheck(検証):予実比較」→「Action(改善)」のサイクルの仕組み作りが必要になります。これは実績会計を理解している会計人しかできません。
予算のシステムと教育基盤があれば、会計人は予算制度構築を通じて本物の経営コンサルティングを行うことができ、「社長の右腕になれる」と考えています。なお、日本初の予算数値を自動仕訳化し、予算損益計算書・予算貸借対照表・予算キャッシュ・フロー計算書及び月次資金計画書を早く、正確に自動作成する標準予算システム「予算会計エクスプレス」(特許取得)がそのシステム基盤になります。(2016年リリース)
最後に、20年近く経営者をやってきた立場から思うのは、やはり“運”というのが非常に大事だということです。私の場合、資金繰りなどで何度も潰れそうになりましたが、それでも生き延びてこられたというのは、“運”があったからだと思います。
“運”とは、絶体絶命な時に巡ってくるものですが、そういった場面におかれた時、「一発狙ってやろう」という考えを持つと必ず失敗します。私が常に心掛けていることは、ピンチであればあるほど、とにかく「愚直に行動する」ことです。そうすれば周りの人が応援してくれます。周りの人の支援の力こそが“運”なのです。