何事も始めるのなら早くから飛び込め
—— いくつか起業をされて、これは大切だと思った気付きはありますか?
2つありますね。1つは飛び込む大切さ。もう1つは、何事も始めるなら早いほうが良いということ。
1つ目の飛び込む大切さに関して言うと、起業をするのは留学に行くのとあんまり変わらないですね。例えば英語を学びたくて、ネイティブになりたいのならば日本でNOVAとか に通うよりも裸一貫で米国に行ってしまう方が早い。
よく言われる、起業するには色々な企業を経験してからみたいな考え方ってあるけど、それは通用しなくて、若くから起業をする方が良いですよね。早いうちから失敗の経験をできますし。
つまり、一言で言うと飛び込んでしまう方が早いってことですね。飛び込めないでいると時間ばかり経ってしまいますし。本当に起業をしたい、経営者になりたい、社長になりたいのならば若いうちから経験するしかないですね。
2つ目の、始めるなら早い方がいいということに関して言うと、例えば野球で有名になる人って、小学校1年生くらいから野球を始めて甲子園ではじめて有名になったりしますよね。それはキャリアに直すと10 年以上経っています。 やっぱり一芸で有名になるにはそれくらいの時間がかかるもので、これはスポーツや企業、経営者の世界に限らず、お笑いや政治家、歌舞伎とかの世界でも共通するものだと思いますね。
だから、何事もプロになるには10年単位での時間がかかるものだから、始めるのは早い方がいいと思います。
人生最大のピンチを経て、もう一度起業
—— 26 歳で株式会社エージェント・テクノロジー・グローバル・ソリューションズを起業してから大変苦労されたと聞いています。
株式会社エージェント・テクノロジー・グローバル・ソリューションズを創業して5年目にリーマンショックで大打撃を受け経営が傾きました。ちょうど今のコロナショックで困窮しているサービス業の方々の気持ちも痛いほどわかります。
社員が300人、外注さん含めると1000人程いた会社ですけど、それがリーマンショック後半分になり、新卒が8から9割やめました。コロナショックでも今後同じようなこと起こると思いますよ。
その時資金繰りに困ってしまって、30歳の時に借金2億円しました。自己破産ギリギリ、幸いなことに自己破産はしなかったですけど、弁護士と会計士からは「自己破産の覚悟はあるか?」とよく言われていました。
結局、私や会社に資金力があれば人を切らずに雇用しておけるけど、資金がなければ人件費を削るしか選択肢がない。その時、わずか30歳の私は2億円の借金が自分の取れる精一杯でした。当時退職を選択させてしまった社員や新卒の皆さんには今でも申し訳なく思っています。それが自分の経営者 人生における最大のピンチでしたね。
その後結局、資金繰りに行き詰った私は、エージェント・テクノロジー・グローバル・ソリューションズを売却することになりました。
――2 年後にA-STARを起業していますけど、落ち込んだりしなかったのですか??
エージェント・テクノロジー・グローバル・ソリューションズを売却した後、1年間は全くやる気が起きなくて休みましたね。
忙しい日々が終わったせいもあり、憂さ晴らしがしたいと毎日のように飲み歩いていました。仕事みたいなのはほとんどしてなくて、貯金で生活していました。
1年ほどフラフラしていた時に、知人からソフトバンクの社長、孫正義氏の後継者育成プロジェクト「ソフトバンクアカデミア」を紹介され、1年ぶりに活動してみました。
ソフトバンクアカデミアに合格できた私は、ソフトバンク孫社長の下でもう一度自分が起業 することが最大の目的でした。しかしソフトバンクアカデミアは起業家支援という機能はなくて、孫社長の志に共感し、「供にソフトバンクへ!」みたいな色合いが濃かったですので、再度起業し再興を目指していた私はソフトバンクグループにジョインするという選択肢は取りませんでした。
――サイバーエージェントからの出資を受けてA-STARを起業したと聞きましたが、 その経緯を教えてください。
サイバーエージェント藤田社長とは 2007,8年くらいから親交がありました。ビジネス上の付き合いというよりは、よく飲みに連れて行ってもらっていましたね。
もう一度起業をしたいと考えていた私は、ソフトバンクアカデミアを頼るのではなくて、その時最も影響力のある藤田さんにお願いするのが早いと思い、株式会社QualiArts(サイバーエージェントグループ会社)の辻岡さんの後押しもあり、起業の後ろ盾になっていただきたいとお願いする事にしました。
直ぐに会っていただけまして、事業計画を用意していたのですが、藤田さんはいっさい目を通すことなく、30分もしないうちに「で、いくら必要なの?」とおっしゃってくれたので、「1億です。」とお話をしました。するとその場で投資責任者のサイバーエージェント・ベンチャーズの田島さんに電話していただけまして「出資したい子がいるから後は宜しく。」と言って下さいました。その3ヶ月後にサイバーエージェントベンチャーズから4000万の出資を受けました。当時売上も利益も0、ITフリーランス領域で再度起業するしかお伝えしていなかったので、人と人の信用保証という形で出資していただき、今でも大変感謝しています。
基本的にベンチャーキャピタルは、機関投資家から 資金を調達しているので、いくらで返すのかという話がついてきます。例えば一般的に、4000万出資していただいているならば、10倍以上で返すのが当たり前で。ベンチャーキャピタルから出資を受けるということは、10倍以上で返すということが経営者に求められますし、ベンチャーキャピタルからしてみれば、この人に出資すれば10倍以上で返してくれるだろうっていう期待のもとで出資しているわけです。なので、僕は6年間で株価を最低でも10倍以上にあげるという自分への目標を定めました。
10倍にするには、IPOもしくは企業価値をあげて売却するっていう2パターンしか存在しません。IPOできれば良かったのですが、18年の 3月、4月というタイミングでは IPOという選択肢は難しいと判断しまして。一方でちょうど、世界最大の人財グループである Adecco Group が私達の事業に興味と、高い事業価値をつけていただけていたので、サイバーエージェントベンチャーズと相談の上、全株式を売却するという流れになりました。
若いうちからの失敗は大きな経験
—— 学生時代は普通のアルバイトはしなかったと聞きました。
学生時代は時給制のバイトはほとんどしたことがなかったです。例えば古いモデルのスノーボードを安く仕入れて、買ってもらうとか。あと当時、携帯電話がまだそこまで普及しておらず、まだみんな持ってなかったので、携帯電話の代理店をやらせてもらったりとかしましたね。
時間を対価にするのが嫌で。時給がいくらとかって決められるのが、僕にはちょっと合わなかったですね。本来、報酬は能力に比例するはずなので、時間給にしてしまうと、上限が決まっちゃうので面白くないですよね。
――歩合制を選んだことによって、苦労したこととかありましたか??
ネオキャリア創業の時が一番苦しかったですね。1 日 16 時間勤務を2年半続けました。それでも、ネオキャリア創業メンバーみな25,6歳でだいたい年収 200万くらいしかなかったです。 実質歩合みたいなものでした。
それでも頑張れたのは、やっぱり社長になりたい、立派な経営者になりたいという気持ちがあったからですね。そのためには、失敗とかの経験ってなににも変えられないので。
23歳でのネオキャリアの苦しい創業が今の私の原点になっています。
若いうちから色んなことを経験することは本当に大切だと思いますね。16時間ぶっ続けで働くとかも、30過ぎてからでは体力的に無理ですからね。 16時間働いていたので、普通の 20代の 2 倍は働けていたので、その分経験と能力はついたと思います。
「登る山は決めるべき」
—— 最後に、これまでたくさんお話を聞いてきた上で、一歩踏み出せない。そういう学生へのメッセージがあったらお願いします。
孫社長が言われている言葉で好きな言葉がありますが、「登る山を決めなさい。」って言葉で、すごく共感しています。あなたは生涯かけてどんなビジョンを持っているのか?または成りたい自分がイメージできているのか?ということですね。
まだ登る山を見つけられていない状態なのであれば、とにかく行動して沢山の経験をするべきだと思います。もしくは好きなものをとことん極める事。既に登るべき山を見つけている状態なのであれば、困難があっても登り続けるべきですね。期間としては10年以上。もしくは、20年、30年と頑張れるものを見つける事に本当の人生の意義があると思っています。