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【株式会社アスタリスク 鈴木 規之】「世の中の誰よりも一生懸命やっていると言えるほど、のめりこめているか」仕事への情熱を燃やし続ける秘訣

2019/11/13

Profile

鈴木 規之

株式会社アスタリスク 代表取締役社長

京都生まれで滋賀県育ち。大阪大学大学院(数学・位相幾何学専攻)の修士課程終了後に、東レ株式会社に入社。システム部門でアパレル企業へのシステム企画や営業、開発など扱ってきた部門のプロジェクトリーダーとして携わる。その後、現在の株式会社アスタリスクを起業する。
同社は、システム、アプリからハードウェアまで、受託開発や自社サービス、自社製品の開発を展開しており、特にAsReaderは、製造業や病院、小売店などの業界で利用されており、モバイル端末をつかったIoT端末としては国内No1のシェアとなっている。
大学院を出て大企業に努めるという、エリート街道を進んできた鈴木氏だが、仕事好きが講じて、自分で今の会社を起業した。常に前を向いてチャレンジする姿勢を持ち続ける、そのモチベーションの秘密を伺った。

「システム部門は本部の補助でいい」の言葉が転機になった。

—— 起業する以前のことを教えてください。

就職は、大きな会社の方が良いかという考えもあり、東レ株式会社を選びました。滋賀県の地元に大きな工場があって、その看板を見て育ったようなもので、名前にも馴染みがあったからです。就職活動はすごく好きで、60社くらい会社訪問をしました。もう廻れば廻るほど色々な会社の考え方がわかり、それらも楽しくなってしまいました。

なお、この時の60社ぐらい回った時に教えてもらった考え方等は、今の経営にも生きているかとも思っています。動けば動いただけ、それらは自分の地肉にもなるものですね。

東レに入ってからの仕事は面白かったです。やればやるほど楽しさが出てくる。お客様に喜んでもらうとか、新しいもの作ったり、提案を持って行ったりしてしました。やればやるだけ楽しさが出てきて。これはすごい、こんなのができたらいい、とアイデアが止まりませんでした。当時、お客様が喜んでくれるのが、とても嬉しかったのを覚えています。

私は負けず嫌いで、同僚だけでなく先輩達でさえライバル視して仕事に取り組んでいました。もうとにかく負けたくなくて、いかに仕事をすれば成果が出せるのかを考えていました。意識すればするほど成果が出るのが、楽しかったです。会社では、早帰りをするとか、残業を無くす事を推奨していますが、そんな規則など必要ないと叫びたいくらい、仕事が楽しくて楽しくて働きたかったものでした。

大学で数学専攻だったので、東レではシステム情報系にて採用されました。アパレル会社向けの東レグループ外の仕事をさせてもらい、東レグループ外に対して提案営業をしシステムの立ち上げから運用というビジネスの中で評価を得てきました。なので、システム情報系としての評価も良かったのですが、東レとしてはシステムの会社ではなかったのですね。

東レは素材メーカーなので本業本部は繊維等の素材部門が主力でした。当時、フィルム系の東レグループ3社合併プロジェクトのリーダーをしていたのですが、ある日、フィルム系の事業をされている偉い人から「システム部門は、業務のサポートをするのが仕事だから、ビジネスのことは考えなくて良い。ビジネスを考えるのは自分たちだ」と言われました。システムの人間がしているのはビジネスではないと言われてカチンときましたね。私はビジネスとしてプライドを持って仕事をしていたんです。

父の死と子供の誕生。これからの人生、さあどうする。

—— 起業するきっかけは何ですか?

会社でそのように言われ、ビジネスを楽しみたいという気持ちをどうするのかと考え始めていた時、父がガンで闘病生活に入りました。もう時間の問題だと。ちょうど私の息子が生まれたあとでもあったので、自分の人生としては、半分ぐらいがたっているのだということをしみじみと感じました。またそれと同時に自分の人生はそれほど長くないものだと知ったのです。

そういった出来事があり、自分で会社を起業しようと決断しました。かなり収入も減るのですが、ITの世界でビジネスとして戦う企業を作ろうと、事業をしようと決め、準備をし創業日を2006年9月1日に設定をしたのですが、その前日に父は他界しました。父には新しいビジネスをする姿を1日も見せることができませんでした。

起業は高校時代のラグビー部の3名で始めました。このメンバーを中核に人集めもして事業をしていったのですが、東レ時代に思っていた人物像などで考えていると、全然違うのがわかったのです。いざ実際自分で事業を始めたら、なんて東レはいい人がいたのか、と思い直しましたね。採用してみて、なかなかいい人材を採用することすら難しいのだというのがすごくよくわかりました。

このようなことでも苦労をしたものですから、多くのことに対しても思っていたこととは違うこともたくさんありました。
ですが、チャレンジすることを恐れずに実施してきたこと、これだけが成長してきた根本にあると考えています。

「できる・できない」と、「やる・やらない」とは違う。

—— 社長は、仕事への情熱が半端ないですが、チャレンジすることについてどうお考えですか?

日本人は、どちらかというと挑戦しない事が多いです。怒られるのが嫌いだし、怒られたら落ち込んで、怒られないようにしようと思う人は、正解ではないと思います。人と同じ事をしたら結果が出ないのです。

就職面談の際にも、人と同じことをしていては結果が出ません。うちの会社の場合の採用時も、「私は」「僕は」から始まる志望書は読みません。いつものパターンではだめ。違うことのアピールを求めています。守りと攻め。攻めるときは無茶なくらい攻める。そんな無茶ぶりの方針をするのか、というくらいの感じがあると、情熱を感じていいですね。

ガツガツ来る感じですね。そういうのが好きです。学んでから、成功するということが理想で、例えば、小さな頃に自転車に乗る時もそうでしたよね?最初は自転車に乗るのが怖かったと思うのです。でも怖いからからやめた人は乗れていない。怖いから乗らないのではなく、怖くても挑戦することが成功するためには大事なのです。挑戦しないと人生が狭くなる。自転車すら乗れないのです。

それから発展している企業は、必ず挑戦しています。挑戦していない企業は、新しいことをする時に、必ず止める人がいる。大企業とか中小企業という分け方をする人がいますが、実際はそのようにかんがえるのではなく、挑戦しないオールド企業なのか、新しいことに挑戦するベンチャー企業なのか、の違いで見ないといけません。アマゾン社や、グーグル社、アップル社は大企業です。ですが挑戦をしないオールド企業とは全く違いますよね? 企業に大切なのも挑戦する企業か、そうでないかが重要になってきます。

個人であっても企業であっても、挑戦して失敗してから、物事を学んでいく事が大切です。まず挑戦すること。会社の経営をしてからそういうことも気がつきました。自分は気がつくのが遅かったなと。社員にも、やらされているからそれをやるのではなく、自分でやりたいからやるというように挑戦することを伝えています。

なお、「できる・できない」ということを考えをする人がいます。世の中で考えられることは、いつかはできるものですし、誰かができたりするものです。

ですが、それらを考える以前に、「やる」という決断をすることが一番重要なんですね。高校野球で優勝した投手にインタビューしていて「適当に投げていたら優勝しちゃいました」という投手はいないのです。どのような人たちだって、「優勝しようと思って頑張ってきました」というインタビューをしているものです。

まずは、「やる」と考えることができるのかどうか。やると考えたことのゴールが明確に見えるぐらいに考えることが重要です。これがあればチャレンジして失敗したとしても、結果に導くために立ち上がり何度も挑戦できるものですからね。

――いつも社長は一生懸命ですね。そのモチベーションはどこからくるのですか?

自分は、一生懸命やるのが心の浄化になると思っています。修行のような成果を得ることができるものです。お客様のところでは理不尽だと思っても我慢して話をしないといけないケースも多々あります。

でも、それらが人を鍛えてくれるものだったりもします。あと、そういった場面であっても「これは修行だな」と思っていれば一生懸命やるのも容易ですよね。修行を重ねて、人間性を高めるのです。

例えば、スポーツで極めた人というのは、スポーツだけでなく、人間性が素晴らしい人が多いですね。厳しい練習をするなど、修行しているから精神的なところが磨かれています。

でも、実際スポーツをしている時は一生懸命やっているとは思ってないんですよ。そんなことを考えている暇すらない。それぐらい没頭しているものだったりする。

高校野球で優勝するようなところまで頑張っている人達は、一生懸命にやっています。でも彼らは誰のためにとか、何のために頑張っているとかではなく、無我無心です。一生懸命やるということはそういうことだと思います。

極限までやって、世の中の誰よりも一生懸命やっていると言えるほど、のめりこめているか。それを自分に問いかけて、自分はまだまだできると思ったら、それは自分を動かす動力になります。

もう駄目だと思った時が仕事の始まり

—— 失敗したこと、しんどいと思ったことはありますか?

経営をしていると、お金の問題でしんどい時期などは多々あります。社長としてはもちろん個人補償もするわけですから、何かあったらどんなことがあっても責任をもって対応をしなければなりません。

これらについても高額になればなるほど修行の場だと感じたものですが、実際には精神的にもかなりしんどい毎日が続くものです。給料や賞与をカットするなどもしなければいけなかったり、様々な判断をせざるをえなかった。そんな対応をしていると社員もかなりの数が辞めました。辞めた人は、損得勘定がある人もいましたが、考えが合わない人達が多かった。

そのためかもしれませんが、逆に残ってくれた人は、私の方針についてきてくれている信頼関係ができている人でした。だから私の考え方や方針に合わない人が辞めると業績が上がったのです。文句をいう人が少なくなると本当に仕事がやりやすくなったのを感じたものです。人間同士の信頼関係は強いと思いました。

私は、立て直すために必死でベンチャーキャピタルを駆け廻り、その時にどうやってお金集めをしたら良いのかを勉強する良い機会になりました。お金ってこうやって回すのだということも知らないことだらけなんだなーって痛感もしましたね。

失敗もしましたが一生懸命に学んで実践したことにより出資したいという会社が出て来てくれました。そういった出資がきっかけとなって一時のピンチは乗り越えましたが、それとともに世の中でのお金の考え方が理解でき、そういった意味ではこれらのチャレンジで強くなれましたね。いい経験をしました。

現在、上場に向けて頑張っていますが、これらの経験で得た知識は、自分の考え方やプランを練るのにもとてもプラスになったからです。

プレゼンについても、かなり理解をしたものです。基本的に人間は、新しいことをすると失敗することが多いものです。自分は、とにかく出資を募るために、まずは今まで営業としてやってきたプレゼンばかりしていました。が、営業としてのプレゼンと出資のためのプレゼンは、少し違う性質をもっているのですね。もう後がないから必死です。余裕があったらやらないと思います。

これらの動きで自分の会社として信頼を得るためにするべきプレゼンというものなどが短時間で磨かれましたね。

もう駄目だと思った時が仕事の始まり。あの時の必死さは自分を鍛えてくれるものです。あの経験があったから自分の信念も強くなり、多少のことについては怖いとは感じなくなりました。

――最後に若者にメッセージをお願いします。

私は就職するとき東レという大企業を選びました。これは私の人生では良かったと思っています。なぜなら大企業がどういうものなのかを理解でき、挑戦するベンチャー大企業を作ろうとしている私にはかなりの経験になったからです。

ですが、中小のベンチャー企業を選んでいたらと思うとどうでしょう? それだったとしても私のことなので良い経験ができたと思っているに違いありません。すべての行動は、すべて自分の人生の肥やしになるものですから全てが財産になってくるものです。
だから、一番重要なのは、行動をして経験することです。

それが失敗したとしても、行動することでしか経験は積めないのです。失敗することを恐れるようなことがあってはいけません。
失敗は決して無駄ではありません。一番怖いのは、失敗を恐れて行動をしないことです。できる・できないを自分で決めて動かないことです。

まずは、「決める」ということ。優勝しようと決めたら、それに対して失敗を恐れず行動をすることです。もちろん成功させるために動くのですが、いっぱいチャレンジしていっぱい失敗したらよいのです。諦めないうちは、それは本来でいう失敗とは呼びません。

40代ですが、私はまだ若者です。若いかどうかは年齢だけの話ではなく、考え方の違いだと思っています。若い人とは可能性のある人です。可能性がない人を若いとは思ってくれないと思います。20才でも人生が終わっている人もいる。60才でもチャレンジしている若々しい人だっています。
世の中を変えていける可能性がある人として私も、人生の途中です。

株式会社アスタリスク

設立 2006年9月1日
資本金 2億9千万円(資本準備金1億4千万円を含む)
売上高 約14億円
従業員数 約100名(海外子会社含む、2019年9月末現在)
事業内容 1 Asreader事業  スマートフォンを用いたIOT製品の製造開発、販売 2 システムインテグレーター事業 システム化のコンサル、開発、運用等のSIヤーとしての事業
URL http://asx.co.jp/ http://asreader.co.jp
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