大学生で会社を立ち上げる変わった奴
—— 大学時代に思い描いていたキャリアについてお聞かせください。
大学生で会社を作ろうなどという変わった奴は、当時からあまりいませんでした。自分自身も最初から起業しようと思っていたわけではありません。他の学生と同じで、就職といったら大企業に行く、といった気持ちしかありませんでした。
中央大学の総合政策学部という新しい学部に通っていたのですが、その当時は学部ができたばかりで、先生方も気合いが入っていました。週に7時間英語の授業があり、3年生に上がるにはTOEFLで550点取らなくてはいけない決まりもありました。
私自身は環境経済学を専攻していたのですが、ネットが当時はまだあまり普及しておらず、回線速度もとても遅い時代でした。そして、大学生で携帯電話を持っている人もほとんどいませんでした。
インターネット黎明期から見てきたもの
—— かなり英語を勉強されていたということですが、海外に関する仕事をしたいとは思わなかったのですか?
思わなかったわけではないですが、それより当時誕生したばかりのネットへの興味がかなりありました。大学1年生の頃、一橋大の学生が作った学生会社の手伝いをする機会があり、先輩から誘っていただいて、NTTの社員にPCに関する講義を行うアシスタントをすることもありました。その学生会社は、普段はパソコンの家庭教師のようなことをしていて、私はその登録メンバー100人ほどをまとめる役割をしていました。
また、当時大手電機メーカーから、アメリカでWi-Fiのもとになる無線技術を研究するインターンに学生を募集しているというお話があって、学生メンバー5人ぐらいで参加しました。レポートを毎日提出するなど、とても大変でしたが今も良い経験になっています。
今では光回線などで高速なネットが簡単に使えますが、当時は電話回線を通じてネットを使っていました。個人で高速な回線引くにはかなりお金がかかり、今のように手軽に無線でネットが使えればいいよね、という話があって無線の技術研究を行っていたわけです。
日本のこのプロジェクトチームは諸事情で解散してしまったのですが、この時の学生メンバーで何かやろうか、ということになり今の会社の前身ができました。
その頃やっていたことは、PCが当時とても高価なものだったので、企業で使い終わったPCを回収して、きれいに整備して、格安OSを入れてネットとメールができるようにして学生寮や社員寮向けに貸し出す、ということでした。かなり需要はありましたが、方向性の違いからメンバーが離脱していき結局私一人になってしまいました。
そこで、昔一橋の学生会社の時にメンバーにいた山下君を思い出して彼に電話をして、一緒に会社をやろう、ということになりました。
―メンバーが離脱していく中で、目代さんはやめたいとは思わなかったんですか?
そうですね。その頃ちょっとしたお客さんもいましたし、もう意地でした。あいつ会社 作ったって言ってたのに結局やめたんだ、と言われるのが嫌でした。だったらやったるぞ!という気持ちがありました。
失敗や逆境をリカバーする知恵
—— 会社経営において、逆境におかれた経験などはありますか?
小さい失敗は多々ありますが、大きな失敗というのは特にないかもしれません。最初の頃に学生メンバー全員が離れてしまったことは失敗かもしれませんが、ここまでやってこられているということは、すべて失敗はリカバーできているはずなので、結果オーライという感じでしょうか。
リーマンショックや、東日本大震災の後など、会社が潰れてしまうお客さんももちろんいて、会社が苦しくなった時期もありましたが、それは弊社だけに言えることではなく当時どこの会社も同じだったと思います。
―そういった困難を乗り越えることができた理由についてはどう考えますか。
まずは、お客様の業種が固まっていなかったことです。どこかの業種に偏っていると、その業界に何かかあった時には同時に大変なことになってしまうかもしれませんが、うちのお客様はさまざまな業種があったので、なんとかしのぐことができました。
騙されるのも、助けてくれるのも「人」だった
また、学生の時にこの会社を作ったので、その当時はお金をだまし取ろうとするような変な人が寄ってくることもありました。とにかく仕事が忙しかったので、断っていたのですが、それでよかったと思います。当時提携しようなどと言ってきた会社の中で今残っているところはないからです。今の会社を作る際に、休眠会社をあげるから手数料をくれ、と言ってきた人がいて、40万をとりあえず預けていたらそのままいなくなっちゃった、ということもありました。
その頃は学生とわかると下に見られていたりして、早く大人になりたいと思っていました。ただ、そういう人は大した人ではないのであまり気にしなくていいけれど、社会に出れば嫌いな人と一緒に仕事をしなくてはいけないこともあります。
その逆に救われたのは、とてもよくしてくれた方もいたということです。「最大限君たちのことを応援してるから」と言って、企業で使用済みのPC を本当に安い値段で卸してしてくださった方もいて、その方とは今も一緒に飲んだりしています。
今までの人生いろんなことがありましたが、何か困難がある度に助けてくれる人が必ず現れて、お世話になって、今の自分がいる、という感じです。だからもしそのような困っている人がいれば自分ができる限りのことはしてあげたいと思っています。
切り捨てられる分野を専門に、地盤を固めてきた20年
—— 20年の間に倒産していく会社もたくさんあった中で、チェックフィールド株式会社が、 経営を続けていけた秘訣はどこにあるのでしょうか。
まず、会社はお客様や取引先、社員など、みんながいて成り立っているので、みんなに対していい会社であることが大切だと思います。お客様にも適切な値段で業務を提供して、同時に社員のことも大切にするようにしています。そのためか会社を辞める人も少ないです。
弊社の事業は、お客様の機密情報を扱うので信頼が大切で、担当が変わることを不安がるお客様も多いです。お客様にも、社員にも安心してもらえるようにすることを大事にしています。自分自身のみならず、社員もお客様もこの会社がなくなると困ると思うので、継続することがとても大切だと思い、当然のことをずっとやってきた感じです。
ITの分野は社会全体として急成長してきたので、どこかでひずみが出てくることが多いです。だからこそ、会社が大きくなればなるほど、業務をマニュアルに落とし込んで誰もができるようにしなくてはいけませんが、しかしながら、弊社の業務はある意味お医者さんのような仕事なので、マニュアル化することが難しいのです。
そういった部分である意味めんどくさい仕事なので、大手がなかなか参入できないニッチな市場ですが、逆に我々はそういうことばかりを専門に20年やってきたわけです。
急成長を望まず、会社の地盤を固めることができたので、20年続けてこられたのかもしれません。急に大儲けして潰れてしまう会社もたくさん見てきたので、そういうことはしたくないと思っていました。会社がなくなるとみんなが困るから、という使命感があります。使命感を持って、無理をしすぎないようにしています。
偏見を捨てて自分の直観を信じること
—— 就職やキャリアについて、学生へのメッセージがあればお願いします。
今は景気も良いのか悪いのかよくわからず、親の安定志向もあったりして、公務員志望が増えていたりするようですが、その気持ちもよくわかります。しかし、世の中には公的機関と大企業ばかりではなくて、大半は中小企業なので、「中小企業は大企業落ちたやつが行くところ」という考えを改めることがまず大事かなと思います。あとは、会社のことは当然、その会社の社長のことなどもプロフィールや理念をしっかり調べて、この人のもとで働きたいなという直感を信じることです。
いろんな選択肢があって、いろんな会社が人を欲しがっていますが、大企業がすべてとい う考え方をまず捨てて、よく会社を見た上で、ここだ!と思ったところへぜひ行ってほしいと思います。
将来を見据えた時間の使い方を
—— 大学生の時にやっておいた方がいいことはありますか。
語学、特に英語は必須です。IT業界ではマニュアルが英語であることも多いですし、特に弊社は外資系のお客様も多いので必要になります。それ以外の業種でも勉強しておいて損はありません。そしてできれば中国語やフランス語のような第二外国語もやっておくと完璧です。実際に社会に出ると、母国語はもちろん、日本語や英語も完璧な外国人の方とお会いしたり一緒に仕事をすることも多いです。仕事をするということは、そのような人たちと一緒に戦っていかなければならないのです!
あとは、何でもいいので資格を取っておくといいと思います。バイトをするのもいいですが、資格のための勉強をしておくと、就活の時などに「この人は努力したんだな」という印象を与えられます。
それから、インターンもとてもよいと思います。いろんな人と会って話して、先輩も含め て交流の輪を広げておくといいですね。人はどこでつながるかわからないので、交流会や会合があったら進んで行って、社会人との接点を持っておくといいかもしれません。社会人になると、本当に時間がないので、学生のうちにやれることをやっておくことが大切です。