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【株式会社リヴィティエ 佐藤 紗耶子】とにかく行動し自己を磨く事。300万円の失敗から得た経営者としての力とは。

2019/09/29

Profile

佐藤 紗耶子

株式会社リヴィティエ 代表取締役社長

独学でWEB技術を習得し、ウェブアプリケーションエンジニアを経て株式会社リヴィティエを起業した佐藤社長。
現在はIT導入コンサルティングから、ウェブアプリケーション構築、モバイルアプリケーション構築、ロボットによる自動化を行うRPAアプリケーション構築、ITシステム運用などの事業を軸として、常に新しい技術やデザインを取り入れながら、未来創造企業として、かかわる人々の幸せと心豊かな社会創りに貢献するべく、世の中のニーズに合ったサービスや事業開発に取り組んでいます。
創業初期には、キャッシュフローに関する壮絶な失敗や様々な困難を経験してきました。
紆余曲折の中でも、今年10周年を迎える事が出来たのは、佐藤社長の経営に対する想いの変化が大きかったといいます。

Windows98の日本上陸が衝撃だった。インターネットに対する憧れから起業へ。

—— 株式会社リヴィティエはどのような会社なのでしょうか?

2009年に会社を設立して、今年で10周年を迎えました。従業員数は42名ほどで、平均年齢は27歳です。社員の構成は、デザイナーやエンジニア、テスターなどのITサービスに従事する人がメインで、その他、対外向けのコンサルティング営業やバックオフィスを統括する秘書の方もいます。

事業内容としては、IT導入についてのコンサルティングから、ウェブアプリケーション開発、モバイルアプリケーション開発、ウェブデザインを駆使したウェブマーケティング関連にも対応しています。さらに今年からロボットの自動化ツールを扱うRPAアプリケーション構築のサービスを提供し始めています。業務としては客先常駐型と社内開発型があり、

現状は、8割くらいは客先常駐型、残り2割が社内開発です。今後は社内開発が増えていくような動きがあります。

—— なぜウェブ開発系の事業を選ばれたのですか?

一番はインターネットに対する憧れですね。

私は元々、情報処理系の学校を出ておらず、20歳の時に事務の仕事をなんとなくやっていたんですよね(笑)。人生の目的もやりがいもなく過ごしていた、ということです。

そんな時にWindows98やインターネットが日本で広がり始めて、テクノロジーの進歩に衝撃を受けました。今の学生さんであれば、パソコンやインターネットは当たり前だと思うのですけれど、当時、約20年前には、インターネットの登場は今までにないサービスだったので本当にびっくりしました。

インターネットで簡単にコミュニケーションが取れるということに衝撃を受け、「この業界で働くしかない!」という想いが強くなっていき、そこからリヴィティエの土台となるITの知識を習得しました。

—— そこから起業されたきっかけっていうのは何だったのでしょうか?

そうですね。まずウェブ系の仕事をしたいという気持ちが強くなり、21歳からIT業界に飛び込んでいきました。最初は憧れのウェブの仕事はスキル不足でなかなか簡単には出来ませんでしたから、下積みとしてネットワークやサーバーの保守運用のような仕事をやっていたんですね。それでも、ネットワークやサーバの知識が身に付き、仕事自体はとても充実したものでしたし、ウェブアプリケーションエンジニアにステップアップした際も、そこで学んだ知識は大いに役立ちました。

それでもやっぱり、自分の力でシステムを開発してみたいという想いが徐々に強くなっていき、ウェブアプリケーションを事業としている会社に25歳の時に入りました。そこからJavaというプログラミング言語を習得して、ウェブアプリケーションのエンジニアになっていったんですね。

その後、順調にウェブアプリケーションエンジニアとしては成長をしていきました。ある程度一人で開発ができるエンジニアとなり、サブリーダーとなり、最終的にはプロジェクトリーダーを任せてもらえる程になっていました。それと同時に、当時はエンジニア35歳定年説というものがあり、私は29歳でしたが、このままエンジニアとしてのキャリアを続けていったら、エンジニアとしての定年を迎えるという焦りも徐々に芽生えていました。

会社員としての安定を選び、エンジニアからマネージャーへステップアップして残りの人生を過ごしていく事も考えました。しかし、やり甲斐や生き甲斐を考えた時、会社から指示される事だけをやるような歯車の一員として働き続ける生き方は何か違うのではないか、本当の自分の存在意義や人生を掛けて取り組める目的をもって生きていきたい、という気持ちが強くなっていきました。せっかくこうやって好きなIT系の技術を身につけた事には何か人生においての意味がある、これを軸にして世の中の人々を幸せにするようなビジネスやりたい、事業を作りたい、という想いが強くなっていき、それをする為には会社を創るしかないという風に思ったのです。

若いって結構恐いもので、勢いで会社作っちゃえ!ということで行動ができます(笑)。その結果として、私が当時32歳の時に生まれたのが株式会社リヴィティエです。

過去のキャッシュフローの失敗が今の経営に活きている

—— 起業されてから失敗したこととかはありますか?

起業から4〜5年間は結構大変な事が色々とありました。最初の3年目までは、私自身、経営者ではなく、エンジニアとしての気質で仕事をしてしまっていた為、経営者としてどうあるべきかという部分が欠けていた事もあり、人の問題や経営的なノウハウの部分で非常に苦労をしました。苦い経験を経た結果、今と当時とでは、経営者としての考え方が全然違うんですよ。

経営者はエンジニアではないのに、それが全然わかってなくて起業していますから、会社全体のバランスを考える事が出来ず、1社員としてエンジニアにとって働きやすい環境とか、やりたいことをできる会社にしよういう事ばかり先行して、顧客への高品質なサービスを提供する基板が弱いまま、社内開発の仕事を営業してどんどんと取っていきました。その結果、起きた事は納品が遅れたり、クロージングに多くの手間がかかっていくという事が起きました。

客先で作業する場合はクライアントから毎月請求した分の売上が入りますが、請負契約では、納品後に支払いがされる為、納品物を納めるまでに要望の対応や不具合があると支払いが滞るようなトラブルに発展する場合があります。

受注時には発生していなかった要望が出てきた場合、その対応に全て応えていると納品が遅れ、最終的に機能を網羅できないでいると、ずるずる長引いて、キャッシュフローが回らない状態が出てきていたりしました。それが創業初期の経験不足による失敗でしたね。

納品したら「払えません」

あとは他にも、騙されたというか、お金が支払われなかったことがあります。

友人のエンジニア経由で「こんな仕事があるけどやってみない?」と言われ、友人経由だったから信用したんですね。相手の会社さんがどんなものかも調べずにお請けしました。どんな企業なのかも聞かず調べず、友人が声をかけてきた仕事だから信用できるとの思い込みでお請けしてみたのでした。

その後、なんとか頑張って制作し、納品をした所、突然、先方から「払えません」と言われたのです。

実はそれがペーパーカンパニーというか、屋号のみの実態のない会社だったんです。そのような状況なので、元々お金を払う力や払う気がさらさらなかったという事だったのかもしれません。結局は、納品を取り消す形となりましたが、完成したのに顧客から払えないです、という申し出があった事はなかなか衝撃でしたね。

結局かけた人件費などを考えると、300万円の損失があることになってしまい、それからは資金繰りが大変でした。この状況では、会社潰れるとまではいかないけれど、損害を軽くする為にどうすれば良いか、と思い悩んだ時期でもありました。

この2つが起業して大きな失敗でした。

 

自分の在るべき姿を捉え動くことで乗り越えられた

—— そんな大きな失敗をどのようにして乗り越えたのでしょうか?

これらの経験不足や自分の甘さからの失敗を機に、自分の経営者としての考え方がガラリと変わりましたね。

潰れるとまではいかないけれど、大きな失敗をしてしまったので、「エンジニアとしての自分や理想だけにこだわってる場合じゃないな」って思いましたね。何よりも会社を存続させなければいけないという思考に変わって、そこからは「請負契約だけではなく、クライアントへの常駐型も進めていく」という風に意思決定をし、常駐型と社内開発型の2軸で安定した経営を図れるよう努めていきました。

会社にとっては大変な失敗だったのですが、この失敗の経験を元に、今までのエンジニア脳から経営者脳へ転換した事で、その後も10周年を迎えられるまでなんとかやってこられたという感じです。

—— その失敗が今でも活きてるときってありますか?

そうですね。これらの失敗によって、私自身のエンジニアとしての在り方から経営者としての在り方を立ち止まって考える良いきっかけになった事は間違いありません。

さっきも言いましたけれど、エンジニアの力と経営者の力って全く別物なんですよね。

経営者というのは、やっぱり会社の方向性やビジョンを作ったり、社員を巻き込みながら企業理念や事業戦略を作ったり、永続的に繁栄する組織はどうあるべきか常に勉強を怠らず、組織開発に取り組んでいく、更には、今後の世の中がどういう風になるのか、その為には何をどう取り組まなければいけないのか、などを常に考えて道筋を作っていくものだと思うんですよね。

そして、売上を上げる事業の推進だけではなく、財務や、営業、マーケティングなど、総合的にトータルコーディネイトしていく事も経営者の仕事だと思います。

社員の顧客に提供するサービスの品質が高い事によって、クライアントが良いサービスを受けられる、そういった企業運営を行う、いわゆる監修する人が経営者ですよね。

一方、エンジニアっていうのは、顧客の望むものをヒアリングし、プログラミングなどの技術を駆使して作る、いわば職人なので、能力が全然別物ということなんですよね。

はじめはエンジニア脳で経営をしていて、その点は本当に間違っていたと思います。

ただ、先ほどお伝えした大きな失敗の出来事をきっかけにして、経営者として変わることが出来た事は本当に良かったと思っています。

今は社員が活き活きと働く為の取り組みであるとか、どうしたら世の中に役立つものを作れるのかとか、かかわる人々を幸せにし、心豊かな社会を創るためにはどう事業を作っていって、活動していけばいいのかという事を常に考え、小回りの利く小さな会社だからこそ、スピーディーに変革改善していきながら事業運営に取り組んでいます。

とにかく行動し自己を磨く事。若いときの努力や失敗がその後の人生を決める

—— 最後に、今人生の歩み方に悩んでいる学生へメッセージをください。

やっぱり若さを武器に、失敗を恐れず、どんどん行動してほしいですね。

私は20代も、粗削りでしたが、ぶつかって軌道修正して、ぶつかって軌道修正しての繰り返しで乗り越えてきたという感じです。知識や経験がないまま、いくら準備したところで、結局失敗するのですから、思い切って飛び込んだらいいと思います。(笑)計算や下準備もある程度は必要ですが、それに囚われて動かないでいると、あっという間に時間が経過してしまいます。

若いからこそ小さな失敗をたくさん繰り返して、ストレス耐性をつけていったり、壁にぶつかりながら、練磨されていくことで、自分自身が心身共に磨かれていく事が、すごく重要だと思います。

更に言うと、20代の過ごし方でその人の人生が変わると思っています。私の場合、20代は本当にチャレンジングに行動あるのみというスタンスでしたから、仕事が終わらず、終電や時には徹夜したりなど、がむしゃらに働いていました。その合間に電車の中でプログラミングの勉強もしていました。周りから見ると過酷に見える事でも、本人がやりたい事であるので、時には苦しいと思う事もありましたが、振り返ると、充実感があり、成長を感じられて素晴らしい濃密な時間を過ごす事が出来た、と思っています。

その結果が自己成長に繋がり、エンジニアとしてのスキルを持ちながら、会社経営が出来る力が20代の鍛錬で身に付いたのだと思います。どんな場面でもフットワーク良く立ち回る事が出来る器が出来たというですよね。

今振り返ってみてトータルの人生考えたとき、そういった20代の体験があったからこそ今がある、そして、今後もその体験をベースとして、新しい事にチャレンジしたりステップアップしていけるんだと思います。若いときの成長する為の行動は間違いなく力になります。

だからとにかくチャレンジングに行動し、心身共に自己を磨く事!です

株式会社リヴィティエ

設立 2009年7月7日
資本金 1150万円(2019年9月末現在)
売上高 非公開
従業員数 45名(社員数)(2019年9月時点)
事業内容 IT導入についてのコンサルティング・ウェブアプリケーション開発・モバイルアプリケーション開発・ウェブデザインを駆使したウェブマーケティング関連・ロボットの自動化ツールを扱うRPAアプリケーション構築
URL https://revitie.jp https://school.revitie.jp/ https://revitie.jp/recruit_new/
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