「世の中の人はこんなにも冷たいのか」引きこもりを救ったチェ・ゲバラの生き様
—— 起業されるまでのきっかけを教えてください
起業したのは、17歳の時で、高校3年の6月頃です。中学2年の時に下半身麻痺になってしまいました。野球をやっていたんですが、足が一切動かなくなってしまって、周りの態度がすごく変わりました。困っていても全然助けてくれなかったのです。
普通に生活している中で、道端で、転倒したり溝とかに引っかかっていても、なかなか助けてくれませんでした。それで、病んでしまったと同時に、なんでこんなにも世の中の人って冷たいのかと感じるようになりました。
それから、病んで1年間くらいずっと引きこもっていたんです。そんな時にたまたま見たのがチェ・ゲバラがキューバ革命を起こした時のドキュメンタリー番組です。なぜかそれにすごい衝撃を受けました。その番組を見た後は、心持ちが全然違っていて、彼のようになりたいと考えるようになりましたね。
—— 引きこもりを乗り越えるほど衝撃的な番組だったんですね。内容について教えていただけますか?
チェ・ゲバラはもともとアルゼンチンの優秀な学生医者で、普通にアルゼンチンにいれば、贅沢な暮らしができたんです。でも、困っている人を見て見ぬふりができず、キューバ革命を起こしました。その後も、国のナンバー2という地位も与えられたのに、それを捨ててアフリカや南米ででまた革命を起こそうとしました。
そういう彼の現状にとどまらない、本当に世の中を変えようとした生き様に惚れてしまって。僕も自分の為よりも世の中全体のために何かをしたいと思いました。
彼は、アフリカでもキューバでも、不当に支配され、貧困で困っている人民を開放する革命を起こそうとしました。しかし彼は結局それを実現できなかったので、僕が代わりにやりたいと思いました。そこから何とか足を直して行動しようと、リハビリなど治療を積極的に始めたことで、幸いにも麻痺が回復しました。
翌年にアフリカにひとりで行ったり、NPOを立ち上げたり、いろんな活動をするようになりました。車椅子の時に、困っていても助けてもらえないとか、見て見ぬふりをされることが多かったので、それを変えたいと思ったからです。でも慈善活動は、続けるには難しく、影響力も少ないことがわかりました。
ならば影響力もあって、持続性のあることをしようと思って、いろんな人の話を聞こうと、高2の夏に日本を一周しながら話を聞きに回ったんです。その時にIT企業の方とか、ベンチャー企業の方とかにお会いすることができて、それでITの存在を知ったんです。ITってこんなにすごいんだと衝撃を受けました。
それで、もう自分は手段として起業をするしかないと思ったんです。別にアイデアとかないけれど、もうこれだ、ITだと。起業したいと思ったら、気持ちが止まりませんでした。それで高校2年生で中退して、IT企業で半年間学ばせていただいて、そこから独立して起業したということです。
世の中や他人を気遣える余裕をどうやって見つけるかが、僕らの事業のテーマ
—— そのIT企業に入ることもできたと思いますが、どうして独立したかったのですか?
そもそも、その企業は自分がやりたい事業をやっているのから入ったのではなく、自分が世の中に対して、どういう事業をやればいいのかわからなかったから入ったのです。インターンの時に考えながら、学ばせてもらおうというスタンスで、入らせてもらいました。もともと企業に入るという選択はなかったですね。
自分のやりたい事業とは何だろうと考えたときに、世の中の課題を沢山変えたいと思いました。特定のテーマを変えたいというよりは、身近なものも変えたいし、貧困みたいな世界規模のものも変える必要があるし、そうなると自分1人では無理だなと感じました。それで、自分と同じように世の中を変えようとする人自体を増やしていこうと考えるようになりました。
僕らのサービスは、一日単位でアルバイトをマッチングさせるものです。従来のアルバイトや雇用は法人対個人の1対1でした。その状態ってとても安全ではないと思うんですよ。会社側がクビと言ったらクビになってしまう(そう簡単にはできないですが)。しかし、デイワークはアルバイトの雇用が複数対複数であるため、明日クビとなったとしても他の会社が一瞬で見つかるという世界観を持っています。複数対複数というのは、明日採用をしたい企業側が複数集まっており、また働き手も複数集まっている状態だからです。Wakrakが定義している余裕がある状態というのは、”まず明日の仕事が必ずある”といった状態であることです。
明日の仕事が無くなったらどうしようと思って過ごしていてるのはもったいないですよね。我々は、明日の仕事はあるけれども、やりたい仕事なのかどうかは別だと思える環境を提供しています。まず生きていくためのセーフティーネットがあって、その先にやっとやりたいことなどについて考えられると思っています。第三者への役務提供、つまり見て見ぬふりをしないといった行為はとても大変です。まずは自身が余裕のある状態になってようやくそういった世界が実現できると考えているため、第一歩の”セーフティーネットを作る”ためにデイワークサービスを提供しています。
デイワークという働き方が、これから急成長して、スタンダードな選択肢の1つになるイメージを描いています。ワクラクというよりも、デイワークという市場を作りに行くという使命感を持ってやってますね。
「デイワークという市場を作りに行く」という使命感
—— 起業される過程で、きつかったことは何でしょうか?
僕の性格上、ポジティブすぎるのか、辛かったことは時間が経ったら、忘れてしまいます。車椅子の時がどん底だったので、それ以上はないです。
起業を目指していて一番苦しかったのは、自分のアイデアをいろんな人にプレゼンして出資するのを断られたのはすごくへこみましたね。創業前に100件近くアポイントを取って、いきなり知らない人たちにプレゼンをしまくった時は、心に傷を負いました。
また、創業してからメンバーが辞めていったのも大変でした。僕が事業の成長のために、会社の働き方を常に変化させて、その結果を求めるので、答えるのに疲れてしまう人がいたんですね。僕が当たってしまうことが多かったんです。最初は学生さんやインターンの方が多かったので、やりにくい部分もありました。
今は社員が10人ちょっとくらいで全員が正社員ですし、平均年齢は30歳くらいで、ちゃんと回っていますし、かなり落ち着いています。細かい部分はみんなに任せています。
—— メンバーをそろえるのは大変ではないですか。
そうですね。やっぱり自分に合う人を見つけるのが大変です。正社員をそろえてもやめる人はいるし、試行錯誤ですね。でもやめることは悪いと思っていなくて、合うメンバーに出会うまではしょうがないかなと思っています。
つらいことは何とかなるよというマインドが何回かの経験で染み付いてしまって、もちろん課題にぶつかる度に試行錯誤はしますけど、もう何も驚かなくなりました。日を追えば追うほど鋼の心になって強くなります。
「若いから」は理由にならない
—— 何か若者にメッセージをお願いいたします
何で早く起業したのとよく言われるのですが、時間軸を決める必要はないと思います。時間を気にしなくていいと思います。高校生って、大学に行ったこともなくて、起業したこともないわけじゃないですか。どっちもしたことがないのに、皆はなぜ大学にいくのか不思議で。高校が終わってから大学に行って、それから起業すればいいのではないかとよく言われるのですが、高校から起業して、その後に大学に行ってもいいのではないか。なぜその時間軸が固定で決まっているのだろうと思います。
自分が早く起業して損をしたことは、ほとんどありません。困ることといえば、実際事業をやっていてお金の借り入れをする時などに、年齢的に親の同意が必要で、離れて暮らしている親にわざわざ来てもらったりとかが不便だということぐらいですかね(笑)。
また、若い人は短期的なメリットを求めがちですが、その考えはもったいないと思うんです。目の前にいる人が自分のメリットにならなくて、気が合わないから連絡しないとか、連絡来ても返事しないとか。昔は自分もしていましたけど、短期的な付き合いはすぐ終わってしまうし、これから50年60年というスパンを考えると、いつかメリットになって返ってくると思うんです。
たとえば、今の会社と全然関係ない仕事の人だとしても、転職したらまた会うこともあるかもしれないですよね。その時に、過去の態度が悪かったとか言われたら、もったいないと思うんです。若いからまだまだ何十年も未来があります。長期的に考えながら接する方がいいですよ。